トップQs
タイムライン
チャット
視点

留守第57師団

ウィキペディアから

Remove ads

留守第57師団(るすだいごじゅうななしだん)は、1941年から1943年と、1944年から1945年に、日本の青森県弘前市に司令部をおいて地域防衛と徴兵・訓練などを業務とした大日本帝国陸軍の部隊である。弘前師管を管轄した。

1941年から1943年

東北地方北部にあたる弘前師管は、1940年新設の第57師団の管区であった。第57師団が1941年(昭和16年)7月に関東軍特種演習(関特演)参加のため秘密裏に動員されたとき[1]、弘前師管を引き継ぐために臨時編成された留守師団が、留守第57師団である。部隊名は第57師団に対応するが、別の師団長と別の指揮系統を持つ別部隊である。上級部隊は北部軍で、1943年2月に北方軍と改称した。

1943年(昭和18年)5月14日の軍令で、第47師団を弘前に新設することが決まった。留守第57師団と第67独立歩兵団から新師団を作り、留守第57師団は復帰(解散)となった[2]

1944年から1945年

戦況が悪化すると、1944年6月29日に第47師団は戦時動員をかけて大本営直属の予備戦力となった[3]弘前師管の管区業務を引き継ぐため、留守第57師団が改めて臨時編成された[4]。上級部隊は東部軍である。

1944年2月9日制定(10日公布)の軍令陸第2号で、臨時的性格の留守師団をやめ、常設の師管区部隊をおく制度が定められた[5]。これにもとづいて4月10日に留守第57師団は復員(解散)し、かわりに弘前師管区部隊が編成された[6][4]

師団長

師団の編制

1944年から1945年の編制[4]。「東部xx部隊」は部隊の通称号である[10]

  • 留守第57師団司令部(弘前)
    • 歩兵第52連隊補充隊(弘前) - 東部57部隊
    • 歩兵第117連隊補充隊(秋田) - 東部58部隊
    • 歩兵第132連隊補充隊(山形) - 東部59部隊
    • 捜索第57連隊補充隊(弘前) - 東部60部隊
    • 野砲兵第57連隊補充隊(弘前) - 東部67部隊
    • 工兵第57連隊補充隊(盛岡) - 東部70部隊
    • 第57師団通信隊補充隊(弘前) - 東部79部隊
    • 輜重兵第57連隊補充隊(弘前) - 東部80部隊

師団司令部の下には4つの連隊区司令部があった。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads