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畠山修羅
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畠山 修羅(はたけやま しゅら)は、室町時代後期の人物。畠山義就の長男で義豊(基家)の兄。通称は修羅法師、諱は不明。
生涯
義就は分家の能登守護家から政国を猶子に迎えていたが、修羅が生まれると政国を廃嫡した。文明2年(1470年)に古市胤栄に預けられて上洛したが、文明6年(1474年)に大和国の越智家栄の館に避難した。文明15年(1483年)に16歳で死去し、弟の基家が後継者となった。
子供がいたとされ、基家と跡目を巡って争ったとされるが、噂に過ぎないともされる。
参考文献
- 大乗院寺社雑事記研究会編『大乗院寺社雑事記研究論集 第2巻』和泉書院、2003年。
- 弓倉弘年『中世後期畿内近国守護の研究』清文堂出版、2006年。
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