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相川宗次郎

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相川 宗次郎[1](あいかわ そうじろう[2]、前名・幾太郎[3]1888年明治21年〉1月25日[4] - 1978年昭和53年〉11月28日[4][5])は、日本商人米穀商)[3][6][7]、会社役員、政治家。埼玉県浦和市長〈第3代〉[2]浦和市会議長[3][7][8]

経歴

埼玉県・先代宗次郎の長男[3][9]1914年家督を相続し、前名幾太郎を改め襲名する[3]。米穀商を営む[3][7]

1921年、浦和町会議員に当選する[2]1925年、浦和町助役[2]。浦和市会議員時代には市会議長に選ばれた[2]1938年9月に浦和市長に就任し、1942年9月に退任した[2]

戦争中は大政翼賛会の支部長だったため、戦後公職追放となった[1]

また浦和商工会長[8]、相川精麦取締役[3][9]浦和商業銀行監査役[7]、埼玉県食糧営団理事長[5]、埼玉県中小企業団体中央会会長[1]、全国食糧事業協組連理事[10]などをつとめる。

1971年、浦和市名誉市民に推挙され、2001年にさいたま市名誉市民として自動的に顕彰が継承される[4]。1978年11月28日、心不全のため死去した[5]

人物

15歳のころから遠くの市場まで米の買い出しに従事、米に竹のヘラを刺して良し悪しを調べた[1]。25歳の時、父親が亡くなり、苦労しながら家業を盛り立てる[1]

米屋だけでなく、中小企業の育成に熱心だった[1]

趣味はゴルフ盆栽[1]。宗教は神道[3][9]。埼玉県在籍で、住所は浦和市岸町7丁目[3](現・さいたま市浦和区岸町)。

栄典

家族・親族

相川家

家系について、サンケイ新聞社埼玉版に連載されていた「財界名士録」で相川曹司は「少なくとも300年以上は続いている。私が11代目で、墓石によると元禄時代に先祖が死んでいる」と述べている[11]

  • 父・宗次郎[3] - 父・宗次郎の代から米穀商を始める[1]
  • 母・かね1867年 - ?、埼玉、倉林吉蔵の二女)[3]
  • 妹、弟[3]
  • 妻・みや1893年 - ?、埼玉、吉澤文作の二女)[3]
  • 嗣子・曹司[7]1916年 - 2006年、浦和市長〈第12・13代〉、相川家11代目、埼玉南部米穀社長[11]
  • 四男、五男[3]
  • 三女、四女[3]
  • 孫・宗一1942年 - 2021年、埼玉県議、浦和市長〈第18 - 20代・最終〉、さいたま市長〈初代・第2代〉)

脚注

参考文献

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