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相田岩夫
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相田 岩夫(あいだ いわお、1894年〈明治27年〉6月14日[1][2] - 1982年〈昭和57年〉10月6日[1])は、戦前日本の大蔵官僚。日本銀行理事・監事、日本出版販売会社社長。
経歴
山形県出身[1]。特定郵便局長相田広吉の二男として生まれた[1]。米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)、第一高等学校を卒業[1]。1918年(大正7年)10月、高等試験行政科試験に合格[1][2][3]。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業した[1][2]。大蔵省に入省し大蔵属に任官し銀行局に配属された[1][2]。
以後、財務書記・米国駐在、司税官・千葉税務署長、幸橋税務署長、大蔵事務官・銀行局配属、銀行検査官などを歴任[1][2]。帝人事件で検挙され1934年(昭和9年)5月に休職したが、冤罪事件のため1937年(昭和12年)12月に無罪判決を受けて復職[1][2]。以後、大蔵省大臣官房財政経済調査課長、銀行局検査課長、理財局長、銀行局長などを歴任し、1941年(昭和16年)12月、預金部長官に就任[1][2]。1942年(昭和17年)5月に退官した。
1942年5月、普通銀行統制会理事長に就任[1][2]。1945年(昭和20年)日本銀行に転じ理事として1946年(昭和21年)6月まで在任[1][2]。同年9月、公職追放となった[1][2]。1948年(昭和23年)2月22日に追放が解除された[4]。
1948年8月、日本銀行監事に就任し1951年(昭和26年)8月まで在任[1][2]。1949年(昭和24年)9月、日本出版販売会社社長に就任し1969年(昭和44年)11月まで務め、同社会長となる[1][2]。
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親族
脚注
参考文献
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