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県 (ポーランド)
ポーランドの地方行政区画 ウィキペディアから
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województwo ([vɔjɛˈvut͡stfɔ];、ヴォイェヴツトフォ、 複数形: województwa)は、ポーランドの地方行政区画で、日本語では「県」と翻訳される。この「województwo」という言葉は14世紀から使われている。ポーランドでは1999年1月1日から、16のwojewództwoが置かれている。

語源
「województwo」という言葉は、ポーランド、もしくはポーランド・リトアニア合同における行政区画で、「wojewoda:ヴォイヴォダ (語源的には戦士の長、ウォーロードという意味であったが、歴史とともに公爵のような爵位の意味に変化した。)」という言葉と、「状態または条件」に関する接尾辞「-stwo"」を組み合わせたものである。
英語の「voivodeships」も「ヴォイヴォダ(voivode)」と「状態または条件」に関する接尾辞「Ship」を組み合わせた言葉である。しかし、あまり英語の辞書では使われずパラディン領を表す "palatinates"が使われた。voivodeshipsという綴りが使われるようになったのは、オックスフォード英語辞典によれば1792年で「ヴォイヴォダの治める地域もしくは県」とされた[1]。
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ポーランドの県数の変遷
- 1582-1634 - 34県(+1公国、1教区、1ziemia)
- 1634-1660 - 35県(+1公国、1教区、1ziemia)
- 1660-1717 - 33県(+1公国、1教区、1ziemia)
- 1717-1768 - 33県(+1公国、1教区)
(ワルシャワ公国は、県の代わりに州(departamentów)が導入された。)
- 1815-1837(ポーランド立憲王国) - 8 県
(ポーランド王国では1837-1915まで、県の代わりにグベールニヤが導入された。)
- 1922-1939 - 16県(シレジア自治県を含む、+1都市県)
- 1944-1945 - 10県(シレジア自治県を含む、+2都市県)
- 1945-1946 - 11県(+2都市県)
- 1946-1950 - 14県(+2都市県)
- 1950-1975 - 17県(+2都市県、1954から+5都市県)
- 1975-1998 - 49県
- 1999年1月1日以降 - 16県
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ポーランドの行政区分の変遷
- 1569以前:ポーランド王国の行政区分
- 1569-1795:ポーランド・リトアニア共和国の行政区分
- 1795-1807:ポーランド分割後の領土の行政区分
- 1807-1815:ワルシャワ公国の行政区分
- 1815-1914:ポーランド立憲王国の行政区分
- 1914-1918:第一次世界大戦中のポーランド領土の行政区分
- 1918-1939:ポーランド第二共和国の行政区分
- 1939-1945:第二次世界大戦中のポーランド領土の行政区分
- 1945-1999:ポーランド人民共和国およびポーランド共和国の行政区分
- 1999年以降:ポーランド共和国の行政区画
- ポーランドにおける県区分の変遷
- ポーランド第2共和国時代(1921-1939)
- ポーランド人民共和国時代前半(1957-1975)
- ポーランド人民共和国時代後半およびポーランド共和国(1975-1998)
- 現在のポーランド共和国の行政区画(1999-現在)
ポーランドの県一覧
要約
視点
過去に存在した県
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1975年から1998年までのヴォイェヴツトフォ(以下“県”と表記、『展開する』を押して表示)
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参考文献
関連項目
外部リンク
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