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真珠採り

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真珠採り
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真珠採り』(しんじゅとり、フランス語: Les Pêcheurs de perles)は、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーが作曲した3幕からなるオペラである。

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『真珠採り』の第1幕のデザイン

テノールアリア「耳に残るは君の歌声」[1](通称「ナディールのロマンス」)や、テノールとバリトンの二重唱「神殿の奥深く」などが有名である。

作曲の経緯

作曲に至るまで

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メトロポリタン歌劇場の1916年の上演、ナディールを演じるカルーソー

ローマ留学から帰国したビゼーは、ローマ大賞受賞者の義務として1861年にオペラ『太守の一弦琴』(La Guzla de l'émir[2]を作曲する。翌1862年オペラ=コミック座で稽古が行われたが、直前になって中止された。このオペラは現在に至っても上演されていない。

ちょうどその頃、アレクサンドル・ヴァレフスキ伯爵(ナポレオン1世の庶子)がリリック座の支配人カルヴァロに10万フランを差し出し、ローマ大賞受賞者で、まだオペラを作曲していない新人の手による3幕物のオペラの上演を要望していた。カルヴァロは、かねてからその楽才を認めていた(かつこの要望に当てはまっていた)ビゼーを登用することを決め、ビゼーに『真珠採り』の台本を渡すと同時に作曲を依頼した。ビゼーは台本を読んでその内容を気に入ったため、1862年に作曲に着手する。しかし生活苦のため内職(主にピアノ用の編曲)をしていたので、完成は1863年の春までかかった。

初演とその後

初演は1863年9月30日(29日とも)にパリリリック座フランス語版で行われ、聴衆から熱狂的な歓迎を受けて、成功を収めた。その一方で、批評家たちからは酷評されたが、その中で唯一高く評価したのがベルリオーズであった。

本来、9月15日に初演が行われる予定であったが、レイラ役のソプラノ歌手が病気で出演できなかったため、2週間引き延ばして上演されている。

タイトルは当初『レイラ』で、メキシコを舞台として設定されていたが、のちにセイロンに変更している。

1886年以降、ビゼーの自筆譜は行方不明となってしまった。このため、初演時の指揮者のスコアなどを元にしてオリジナルを復元する試みが続けられている。

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リブレット

リブレット(台本)は、ウジェーヌ・コルモン(E.P.ピェストロの筆名)とミシェル・カレによる(フランス語)。

楽器編成

登場人物

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ズルガを演じたモーリス・ルノー
さらに見る 人物名, 声域 ...
  • 合唱:漁師たち、若い娘たち、僧侶たち、その他

演奏時間

第1幕:46分、第2幕:32分、第3幕:25分。

あらすじ

第1幕 島の浜辺

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フロリダ・グランド・オペラ英語版の2015年2月の上演

舞台は未開時代のセイロン島の浜辺の村。

真珠採りの頭領ズルガと、彼の旧友ナディールは、かつてレイラという美しい女性を争った仲であった。そこへ真珠採りたちの安全を願うために遣わされた尼僧を乗せた船が到着する。

ズルガは尼僧に、純潔と信仰の誓いを立てさせるが、その尼僧が他ならぬレイラであることに気づいて、ナディールは大いに驚き悩む。レイラもナディールに気づき、祈りの最中に彼の呼びかけに応えてしまう。

第2幕 荒れ果てた寺院

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メトロポリタン歌劇場での上演

レイラはヌーラバットの命令により、崖の上の寺院に籠もっている。彼女は仲間たちに、遠い昔に逃亡者の命を助けて、その礼に首飾りをもらった話を語る。 レイラを諦めきれないナディールが寺院に忍び込んできて、2人はお互いの心を確かめあう。一緒に逃げようと訴えるナディールの言葉を一旦は拒絶したレイラだったが、断りきれずに次の夜に落ち合う約束をする。

ところが、ナディールは寺院の見張りに捕まってしまった。それを知ったズルガはナディールを助けようとするが、彼が逃がそうとした尼僧がレイラだったことを初めて知り、嫉妬に苛まれて2人に死刑を言い渡してしまう。

第3幕 テントのある海辺、処刑場

ズルガが旧友とレイラに死刑を宣告してしまったことを後悔していると、そのレイラ自身がナディールの助命嘆願にやってくる。ズルガはレイラに愛を告白するが、彼女の心は変わらずナディールのもとにある。

処刑の時間が近づき、レイラは母への形見としてあの首飾りを届けて欲しいと頼む。その首飾りを見て、ズルガはかつて自分を救った恩人がレイラだったことに気づき、2人を助けようと決心する。

処刑場にレイラとナディールが引き立てられてくる。ズルガは村に火を放ち、その騒ぎの隙を見て2人を逃がす。

ズルガの行為の一部始終を影で見ていたヌーラバットが、その裏切りを告発する。ズルガは2人を救えたことを喜びながら息絶える。

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録音及び映像について

要約
視点

このオペラにおける最初の全曲録音は、1950年代初めから登場した。1950年代以前においては、個々のアリアに関して多くの録音が残されている。例えば、ナディールとズルガの二重唱「神殿の奥深く」が、1907年にエンリコ・カルーソーマリオ・アンコーナによってイタリア語で歌われたものが録音、発売された。The Victrola Book of the Opera の1919年版によると主にイタリア語で歌唱された、ナディールとズルガの二重唱や前奏曲、合唱曲、そして第3幕フィナーレが挙げられる。1977年にジョルジュ・プレートルによってなされた全曲録音は、ビゼーが製作したヴォーカル・スコアによる1863年上演版に基づく最初の録音であった。1991年のプランティーニによる録音は、1863年版のスコアに基づきつつ、ナディールとズルガの二重唱の2つのヴァージョン(ビゼーのオリジナルバージョンによる縮小版とよく知られている拡大版)も収録した。ビゼーが指揮したスコアを改作したブラッド・コーエン指揮による英語歌唱版もまた、二重唱の2つのヴァージョンを収録している。

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参考資料

脚注

外部リンク

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