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矢橋浩吉

昭和期の実業家 ウィキペディアから

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矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日[1] - 2016年10月6日[2])は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン社長[3]愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。

概要 やばし こうきち 矢橋 浩吉, 生誕 ...

旧姓は亀山[4]。父・亀山恭平、母・正子の三男[5][6]。時期は不明だが、矢橋家大垣市赤坂町の県内屈指の旧家[7][8])に婿入りしている。

在任中はプリント配線板セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。

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経歴

  • 1946年 - 揖斐川電気工業(現・イビデン)入社。
  • 1951年 - 取締役就任。
  • 1969年 - 常務取締役就任。
  • 1973年 - 社長の須崎潔が在任中の8月15日に死去したことにより、9月12日に代表取締役社長に就任。
  • 1981年6月 - 常務取締役会長に就任。
  • 1991年6月 - 相談役就任。
  • 1991年12月 - 大垣市固定資産評価審査委員会委員に選任される[9]
  • 2016年10月6日 - 心不全により死去。97歳没。

栄典 

(出典[10]

脚注

参考文献

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