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矢野遺跡

徳島県徳島市に所在する複合遺跡。 ウィキペディアから

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矢野遺跡(やのいせき)は、徳島県徳島市国府町矢野西矢野にかけて所在する縄文時代から中世にかけての複合遺跡史跡指定(または登録)はされていないが、出土した「矢野銅鐸」と通称される弥生時代銅鐸と、縄文時代後期の出土遺物160点が国の重要文化財に指定されている[1]

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矢野遺跡
矢野遺跡
位置図

概要

鮎喰川左岸の、気延山東側山麓に広がる扇状地沖積地域に立地する。縄文時代集落弥生時代集落、さらに北東に所在した古代律令期阿波国府に関連する官衙遺構・阿波国分寺跡をも内包する非常に大きな複合遺跡である[注釈 1]

なお、矢野遺跡の西側に隣接する気延山山麓には県指定史跡「矢野の古墳」などを含む古墳群(気延山古墳群)や中世矢野城などが分布し、阿波史跡公園として整備され徳島市立考古資料館が置かれている[3][注釈 2]

発掘調査

弥生時代の遺構

弥生時代集落は、1992年(平成4年)から始まった徳島南環状道路徳島外環状道路)建設に伴い発掘調査された。徳島県内最大級の弥生時代集落であり、弥生時代中期から末にかけての竪穴建物跡が100軒近く検出されている[1]

集落内からは、1992年(平成4年)12月18日に銅鐸埋納坑が検出された。この埋納坑は、柱穴や建物跡が伴っており、銅鐸は木箱に納められて埋納されたと見られる。このような検出状況は全国的にも類例が少ない[1]。出土した突線袈裟襷文銅鐸(とっせんけさだすきもんどうたく)は、「矢野銅鐸」と通称され、1995年(平成7年)6月15日に国の重要文化財に指定された[4][5]

縄文時代の遺構

縄文時代集落は、1994年(平成6年)~1998年(平成10年)の発掘調査で発見され、竪穴建物19軒などの遺構のほか、縄文土器石器等の多くの遺物が出土した。西日本の縄文時代集落の中では最大級のものとされる。出土遺物の中では、土製円板に穿孔して両目と口を表現した仮面が注目された[1]

これら縄文時代後期の出土遺物160点は、2019年(令和元年)7月23日に「徳島県矢野遺跡出土品」として国の重要文化財に指定された[注釈 3][4]

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脚注

関連文献

関連項目

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