トップQs
タイムライン
チャット
視点

石井垣城

ウィキペディアから

石井垣城map
Remove ads

石井垣城いわいがきじょう)は、鳥取県西伯郡大山町石井垣にあった日本の城。この地方では珍しい複郭式の遺構が確認される。

概要 logo石井垣城 (鳥取県), 別名 ...

歴史

南北朝時代初期には伯耆守護代糟屋弥次郎元覚の拠点であった。元弘3年(1333年)、船上山合戦の後、名和長年によって攻撃され炎上、幕府方の糟屋氏は滅亡した。まもなくして付近の国人赤坂掃部助が居城、その後箆津豊後守敦忠が居城して以後は箆津氏の拠点となった。

遺構

  • 当城は甲川(きのえがわ)沿いに位置する標高55m(比高10m)の丘陵にあり、この地方では珍しい複郭式の平山城である。
  • 甲川沿いに主郭部の本丸、二の丸が配置されており、郭を3本の空堀で区切っている。西側の曲輪は現在、春日神社の境内になっている。(境内から土橋を渡って城の中に入ることができる)
  • 全部で7つの曲輪が存在しており、東西300m、南北500mの広範囲に城域が広がっている。また、主郭周辺の平坦地等は侍屋敷、館跡と推定されている。

参考文献

  • 鳥取県史2中世
  • 鳥取県教育委員会 『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads