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石摺絵
浮世絵の様式のひとつ ウィキペディアから
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概要
拓本のように、背景を墨地に、線を白抜きにして表現した版画。拓本を「石摺」とも呼ぶことに由来する[1]。墨摺絵の白黒が反転した図になる。篆刻での「白文」にあたる。
紅摺絵と同時期の、延享年間(1744-48年)に創始されたと考えられる[2][1]。創始者は奥村政信[3]もしくは西村重長とされる[4]。
錦絵が登場した後(1765年(明和2年)以降)でも、葛飾北斎・歌川広重[5][1]の作例がある。
浮世絵師ではないが、伊藤若冲による、淀川下りの情景を図した「乗興舟(じょうきょうしゅう)」(1767年(寛文7年)、一巻)は、「石摺絵」に見えるが、版木に湿した紙をあて、その上から墨を付けたタンポで叩く、拓本同様の制作法が取られており、「拓版画」と呼ばれる[6]。
図版
- 奥村政信「許由洗耳 ・巣父牽牛」、1750年頃、メトロポリタン美術館蔵。『荘子』『史記』等に記される逸話で、隠遁する許由と巣父は、政(まつりごと)に関わるのを嫌い、仕官の申し出を聞いた許由は、穢れた耳を滝で洗い、巣父はその水を牛に飲ませなかった。
- 西村重長「騎乗関羽図」、1745年頃サンディエゴ美術館蔵。
- 葛飾北斎『図入水滸伝』、1805-35年、ロサンゼルス郡美術館蔵。
- 歌川広重「花筏」1850年頃、アメリカ議会図書館蔵。

出典
参考文献
関連項目
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