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神奈川大学日本常民文化研究所

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神奈川大学日本常民文化研究所(かながわだいがくじょうみんぶんかけんきゅうじょ)は、神奈川県横浜市神奈川区六角橋三丁目にある神奈川大学の附置研究所。漁業制度史や民具の研究を中心に、日本の民衆の生活・文化・歴史の調査研究を行っている[1][2]

学校法人神奈川大学 > 神奈川大学日本常民文化研究所
概要 神奈川大学日本常民文化研究所, 正式名称 ...

概要

1921年大正10年)に、実業家で民俗学者でもあった渋沢敬三が創設したアチック・ミューゼアムを前身とする。「チームワークとしての玩具研究」をうたい、玩具の蒐集、調査から次第に民具の研究へ転じていった[3]。その後、財団法人時代を経て1982年(昭和57年)に神奈川大学に移管され、その研究が引き継がれた[4]

沿革

  • 1921年(大正10年) - 渋沢敬三が友人たちと蒐集した標本類を調査するため、それらを三田綱町にあった自宅[5]の二階に整理、陳列した。これがアチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)の始まりである[3][6]。邸内には、民俗研究室と水産史研究室が別々にあった。日本全国から書生が集まり、また朝鮮から来ている人も少なくなかった。これは関東大震災で多くの朝鮮人を日本人が惨殺したことを深く反省した人たちがお金を出し合って、朝鮮の若い人たちの勉学の援助をしたものである[7]。渋沢はその人たちの面倒を見ていた。
  • 1942年(昭和17年) - 「アチック・ミューゼアムという名は外国の名前と紛らわしいから改めるように」と警視庁から忠告があったため、日本常民文化研究所と改称した[8]
  • 1949年(昭和24年) - 水産庁から水産資料の調査保存を委託され、東海区水産研究所内に月島分室を置く[6]
  • 1950年(昭和25年) - 財団法人日本常民文化研究所となる[6]
  • 1955年(昭和30年) - 月島分室が閉鎖される[6]
  • 1963年(昭和38年)10月 - 渋沢敬三死去[6][注釈 1]
  • 1968年(昭和43年) - 『民具マンスリー』創刊[6]
  • 1980年(昭和55年) - 神奈川大学内に日本常民文化研究所招致検討委員会が発足[6]
  • 1982年(昭和57年)7月 - 神奈川大学日本常民文化研究所設立(財団は解散)[6]
  • 1986年(昭和61年) - 『歴史と民俗』(神奈川大学日本常民文化研究所論集)創刊[6]
  • 1992年(平成4年) - 神奈川大学日本常民文化研究所を母体とする神奈川大学院歴史民俗資料学研究科の開設認可[6]
  • 2003年(平成15年) -「人類文化研究のための非文字資料の体系化」が 文部科学省21世紀COEプログラム」拠点事業に採択される[11]
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組織

  • 日本常民文化研究所
    • 非文字資料研究センター
    • 国際常民文化研究機構

著名な研究者

アチック・ミューゼアム時代

神奈川大学附置化後

参考文献

  • 二野瓶徳夫「戦後世代旧日本常民文化研究所の漁業史研究(漁業における歴史と民俗--第四回常民文化研究講座(神奈川大学日本常民文化研究所二〇周年記念)より)」『歴史と民俗 : 神奈川大学日本常民文化研究所論集』第17号、神奈川大学日本常民文化研究所、2001年3月、140-161頁、NAID 110000466816
  • 『父母の記/自伝抄』 42巻、未来社〈宮本常一著作集〉、2002年9月30日。ISBN 978-4-624-92442-3
  • 『渋沢栄一』平凡社〈別冊太陽〉、2021年1月15日。ISBN 978-4-582-92285-1

関連項目

出典

外部リンク

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