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神宮寺 (名古屋市)

名古屋市昭和区の寺院 ウィキペディアから

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神宮寺(じんぐうじ)は、愛知県名古屋市昭和区御器所(ごきそ)にある真言宗豊山派の寺。山号は医王山(正式表記は醫王山)。大名古屋八十八カ所 三十六番札所。

概要 神宮寺, 所在地 ...

本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。仁明天皇勅願寺とされ、また御器所最古の寺である。

秘仏である薬師如来は毎年11月8日に開帳され、多くの参拝者で賑わう。またその日に供えられた餅やっこ餅を食べると病気患いがないと信仰されている。

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歴史

寺伝によれば、医王山神宮寺は弘仁4年(813年)に嵯峨天皇により、現在の名古屋市熱田区神宮付近に創建が計画されたといわれる。しかし、嵯峨天皇は崩御し、遺志は第二皇子である仁明天皇へ引き継がれたとされる。

承和2年(835年)仁明天皇の勅願により、嘉祥3年(850年)神宮付近に熱田神宮別当補佐職の任を受けた高野山の僧・成惠僧都により、熱田宮鬼門除け鎮護修法所として創建されたとされ、当時は嵯峨天皇の勅筆の仁王護国般若経、勅額などが納められていたとされる[1]

嘉元2年(1304年)に雷火により堂や文庫・庫裡・経蔵等が焼失したため、現在の名古屋市昭和区御器所(ごきそ)移り、草堂を建立した。また、開山より無本寺であったが、高野山金剛峯寺の末寺となる[1]

嘉吉元年(1441年)12月16日に神宮寺境内奥山に、御器所城主佐久間美作守家勝の勧進により、旧御器所村の氏神である八幡大菩薩(現在の御器所八幡宮)を迎える。当寺が禰宜兼ねることになる。

慶安3年(1650年)京都密蔵院の大僧都有海が、当時の住職となるが、再び雷火にみまわれる。住職亮海僧都の尽力と、村中を勤財し、慶安5年(1652年)2月16日に宮大工大島雲八によって本堂を再建する。後に、神宮寺学頭十五世大阿闍梨法印金憧阿闍梨と引き継がれ、明治に入り廣澤観光和上とつづくが、神仏分離令により御器所八幡宮とは分離され、廃仏毀釈により住職は還俗され無僧荒廃を辿る。

地域住民より復興を願う声があり、明治20年(1887年)1月、高野山より拝命された中興桑原實定法尼により復興[1]

昭和20年(1945年)太平洋戦争により諸堂が皆焼失する。第三世貞純法尼に至り、昭和46年(1971年)に有志の助力にて本堂が再建、昭和61年(1986年)観音堂が落慶される[1]

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やっこ餅(薬壺餅)

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やっこ餅(藥壺餅)

毎年11月8日には医王山神宮寺の秘仏である薬師如来が開帳される。

薬師如来(医師の仏)の持ち物である薬壺(やっこ)に見立てつくられたやっこ餅は、

本堂に山のように供えられ、やっこ餅を食べれば、

病気や患いごとが無く過ごせると信仰されている。

一升餅祈祷会(やっこ餅祈祷会)・選び取り

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一升餅を背負う子供の絵馬(祈祷後に、手形を押し奉納する)と、子供の健やかな成長を守る御守

近年では、御開帳に合わせて、年一度やっこ餅を幼児に背負わせる一升餅祈祷会(やっこ餅祈祷会)が本堂にて行われる。

幼児に、一升餅で作られたやっこ餅を背負い七歩歩けば、一生食うに困らず、一生心を丸く、一生粘り強く、一生患いがないとされる。

一升餅祈祷が終れば、選び取りが行われ、幼児の将来の職業や才能を占う。申込みは0歳~1歳までとなっている。

昔話 - 薬師のやっこ餅 -

むかしむかし、御器所村に、身体の弱い、病気がちの女が住んでおった。 女には、わずか一歳になる娘があったが、暮らしは大変な貧乏で、明日をも知れぬ有様であった。

女は、「これほど苦しむのは、きっと前世からの因縁であろう」と思ったが、このまま虚しく餓え死ぬよりも、せめて善きことをして仏の加護を願おうと心を定めた。

ある日、女は御器所村の薬師堂へ詣で、仏さまの前でこう祈った。 「私の命は惜しくはありません。けれど、わが子の命が惜しいのです。このままでは二人とも餓えてしまいましょう。どうか、どうか、せめてこの身がもう少し丈夫であれば…。」

不憫に思った十二人の堂守(どうも)りたちは、女をお堂に招き入れ、薬師如来の御前で祈祷を行った。 壇の上には四十九本の蝋燭が灯され、五色の旗が彩り、昼夜絶えずお経が唱えられた。

祈祷が始まって七日目の夜、女の夢枕に一人の仏が現れた。 仏は女に向かって七歩近づき、静かに立ち止まると、「除病安楽(じょびょうあんらく)」と告げ、左手の薬壺(やっこ)を差し出された。 女がそれを受け取った瞬間、ふと夢から覚めた。

翌朝、女は思った。 「あの仏さまは薬壺を持っておられた…お薬師さまに違いない。」 娘を連れ、薬師堂へ参ってみると、なんと薬師如来の左手には餅がのせられていた。

その餅を口にすると、病気がちで痩せ細っていた身体は、みるみる元気になった。 一歳の娘もその餅を食すと、気立ての良い、健やかな村一番の娘へと育った。

感極まった女は、改めて御礼参りに薬師堂を訪れ、十二人の堂守りたちに心の限り感謝を述べた。 すると堂守りたちは「南無薬師瑠璃光如来」と唱え、ふっと姿を消した。

この摩訶不思議な出来事は、たちまち村中に広まり、村人たちは「薬壺(やっこ)が餅に変わった」と大いに喜び、その餅を「やっこ餅」と名付けた。 そして薬師如来は、いつしか「もちい薬師(もちい=餅の古語)」と呼ばれるようになった。

今では、お薬師さまが現れたという十一月八日になると、感謝のお勤めが行われ、沢山の「やっこ餅」が供えられている。

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境内

  • 本堂(薬師堂)
  • 観音堂
  • 地蔵堂
  • 慈眼堂
  • 樹木葬型納骨合同墓
  • 稲荷社

いちにち寺子屋

毎日

お堂で写経体験(要電話予約)

毎月

第2・4週の水曜日 19時半~21時まで 月二回のお寺で太極拳(変更日あり)

月1回 第4火曜日もしくは木曜日(変更日あり)お寺で陶芸体験

月1回 第4金曜日(変更日あり)お寺でシニア向けヨガ メディカルヨガ(自己医療を目的とするヨガ)

定例行事

  • 毎日 10時~16時まで:お堂で写経体験
  • 毎月1日 10時半より:護摩祈祷会・大念珠繰り・法話

特別行事

所在地

〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所四丁目4番22号

交通手段

公共交通機関

自家用車

  • 名古屋市道堀田高岳線(空港線) 白金一丁目交差点を東進、約600m(本堂裏に駐車場7台有)周辺に有料駐車場有り

脚注

参考文献

外部リンク

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