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福岡町立淵ケ谷小学校
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福岡町立淵ヶ谷小学校(たかおかしりつ ふちがたにしょうがっこう)は富山県高岡市にあった公立小学校。
沿革
- 1873年(明治6年)12月 - 福岡町小野の西照寺に小淵小学校ができる[1]
- 1879年(明治12年)10月 - 淵ヶ谷(現在は棚原と合併し、福岡町五位となっている)のどこかに拡淵小学校ができる[1]
- 1882年(明治15年)6月 - 小淵、拡淵小学校が巡回授業所になる[1]
- 1894年(明治27年)4月 - 小淵小学校と、拡淵小学校が合併し、淵ヶ谷尋常小学校ができる[1]
- 1901年(明治34年)4月 - 現在の福岡町土屋、福岡町小野に、土屋分教場、小野季節分教場ができる、そして福岡町沢川の沢川小学校が、淵ヶ谷小学校の分教場となる[1]
- 1914年(大正3年)10月 - 現在の所に校舎が建築され、小野季節分教場が廃止される。沢川分教場の校舎が増築される[1] [2]
- 1915年(大正4年)4月 - 淵ヶ谷尋常小学校が五位山尋常小学校に改名され、沢川分教場が五位山尋常小学校沢川常設分教場と改称する、そして西明寺分教場ができる[1]
- 1924年(大正13年)4月 - 五位山尋常小学校が増築される[2]
- 1926年(大正15年)6月 - 淵ヶ谷尋常小学校と改称、そして西明寺分教場が西明寺小学校と独立する。[1]
- 1941年(昭和16年)4月 - 淵ヶ谷尋常小学校が、淵ヶ谷国民学校となる、それとともに沢川常設分教場も、淵ヶ谷国民学校沢川分教場となる[1]
- 1943年(昭和18年)4月 - 高等科(2年制)が設置される。[2]
- 1944年(昭和19年)9月 - 校舎が全焼する[2]
- 1946年(昭和21年)2月 - 校舎が新築される[2]
- 1947年(昭和22年)4月 - 五位山村立淵ヶ谷小学校に改名される(それとともに沢川分教場も五位山村立淵ヶ谷小学校沢川分校に改名された)[1]
- 1954年(昭和29年)8月 - 市町村合併により、五位山村立淵ヶ谷小学校から、福岡町立淵ヶ谷小学校となる。[1]
- 1956年(昭和31年)7月 - 体育館が作られる[2]
- 1969年(昭和44年)8月 - 淵ヶ谷小学校から少し離れた福岡町営淵ヶ谷プールができる。 児童たちはそこのプールを使ってプールの授業をしたりするようになった[2]
- 1980年(昭和55年)5月 - 校舎が改築され、公民館、保健室に診断所併設の鉄筋コンクリートの現在の校舎になる[2]
- 1981年(昭和56年)3月19日 - 沢川分校の最後の1名の卒業生を送り出す[2]
- 1981年(昭和56年)4月 - 沢川分校が休校する[2]
- 1985年(昭和60年)11月 - 鉄筋体育館が完成する。[2]
- 1987年(昭和62年)11月3日 - 富山県健康優良学校(小規模校の部)に選ばれる[2]
- 1988年(昭和63年)3月 - 沢川分校が廃校になる [2]
- 1993年(平成5年)10月 - 外国語指導助手(ALT)による英語活動が始まった[2]
- 2003年(平成15年)3月31日 - 休校する ふちがたに〜130年の歩み〜という記念誌が発行される[2]
- 9月30日 - 淵ヶ谷小学校保健室に併設されていた淵ヶ谷診断所が閉鎖される[3]
- 2005年(平成17年)11月1日 ‐ 福岡町営淵ヶ谷プールが高岡市営淵ヶ谷プールとなる
- 2013年(平成25年)3月31日 - 廃校となる。
- 2013年(平成25年) - 体育館以外の校舎を解体する。
- 2015年(平成27年) - 旧体育館に五位山交流館が新築される[4]
- 4月1日 - 高岡市営淵ヶ谷プールが廃止になる
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校区
進学先中学校
- 高岡市立福岡中学校(ただし昭和23年10月20日(23年度)までは、西五位村立西五位中学校淵ヶ谷分校、そして昭和23年10月21日から昭和52年3月(51年度)までは福岡中学校淵ヶ谷分校。)
周辺
- 福岡中学校淵ヶ谷分校(昭和52年3月廃校)
- 福岡町立淵ケ谷小学校沢川分校(1981年休校、1988年廃校)
- 淵ヶ谷幼稚園(2005年3月 廃園)
出典
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