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福田又一
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福田 又一(ふくだ またいち、1864年9月10日〈元治元年8月10日[1]〉 - 1939年〈昭和14年〉1月25日[2][3])は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→無所属団→立憲同志会→憲政会[注釈 1])、弁護士。
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経歴
武蔵国横見郡前河内村[18](その後埼玉県比企郡南吉見村を経て、現在の吉見町)に、福田沢吉の二男として生まれる[19]。1882年(明治25年)、埼玉県立中等師範学校漢学部に入学し、1885年(明治18年)に東京師範学校に入学した[20]。しかし法学・経済学を学ぶため英吉利法律学校(現在の中央大学)に転じ、1888年(明治21年)に卒業した[3]。1891年(明治24年)に代言人の資格を得て、開業した[19]。
1902年(明治35年)9月の補欠選挙で東京市選出の東京府会議員に当選した[21]。1903年(明治36年)9月から2期目になったが、1905年(明治38年)8月に辞職した[21]。同年6月から神田区選出の東京市会議員となった[22]。1907年(明治40年)1月24日から1909年(明治42年)7月17日まで東京市会副議長を務めた[23]。市会議員は2期務めて、1911年(明治44年)5月に退任した[24]。1922年(大正11年)6月に再び市会議員となった[25][26]。2期務めて、1928年(昭和3年)12月21日の議会解散で退任した[27]。
1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選[3]。3期務めた[3]。
その他、神田区会議長も務めた[注釈 2]。
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脚注
参考文献
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