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禰寝清方
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禰寝 清方(ねじめ きよかた)は、江戸時代中期の薩摩藩士。通称は内記。吉利郷私領主の禰寝家当主。
生涯
正徳3年(1713年)11月22日、禰寝清純の子として鹿児島にて誕生。母は禰寝清雄の娘。幼名は徳慈。
享保3年(1718年)、4代藩主・島津吉貴の清純邸御成の際に御目見する。享保9年(1724年)、父の死去により家督を相続する。享保16年(1731年)、四番組頭、番頭役となる。享保18年(1733年)、5代藩主・島津継豊の帰国許可の答礼使を務め、江戸に出府して江戸城で8代将軍・徳川吉宗、世子徳川家重に拝謁する。
享保19年(1734年)2月20日、疱瘡により病死する。享年22。家督は祖父清雄の外孫・清香(島津久春の次男)が相続した。
参考文献
- 東京大学史料編纂所「新編 禰寝氏正統系図」
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