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秋里籬島

江戸時代中期から後期にかけての日本の読本作家、俳人 ウィキペディアから

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秋里 籬島(あきさと りとう、生没年不詳)は、江戸時代読本作者、俳人[1]名所図会の先駆者として知られる。

来歴

京都の人。本姓は池田であるが、秋里を称す。名は舜福。字は湘夕。籬島、秋里山人、籬島軒と号す。仁左衛門とも称す[1]安永から文政期に活躍、名所図会の編著者として知られており、随筆、紀行文などの他、読本の著作もあり、ごくまれに自ら挿絵も描いている。安永9年(1780年)刊行の『都名所図会』(竹原春朝斎画)が代表作として著名であり、ほかに文化2年(1805年)刊行の自画作による地誌本『唐土名所談(もろこしめいしょだん)』が知られている。

『都名所図会』が当たった[2]ことで画工を連れて諸国を回り、数十種類に及ぶ名所図会を編纂し、名所図会の流行を作ったほか、俳書や辞書、作庭書など約40冊の著書がある[1][3]

編著作

著作の多くは国立国会図書館デジタルコレクションで誌面を確認できる。

実用書

名所図会[4]

建築、造園、作庭

  • 『石組園生八重垣伝(いしぐみ そのう やえがき でん)』1827年[注 7]
  • 『築山庭造伝(つきやま にわづくり でん)』(後編)[10]、1829年。北村援琴の『築山庭造伝』[注 8]の続編。

地図・図面

  • 『京之水』1841年。大内裏と都の図面合計2点と建築史の解説書「上・麟の巻(りんのまき)」「下・鳳の巻(ほうのまき)」。
  • 『大日本道中早引細見図(だいにちぽん どうちう はやひき さいけんのづ)』、吉文字屋市兵衞、1830年。NCID BA37574237。1枚ものの地図。

文学

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脚注

参考文献

関連項目

関連文献

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