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稲永遊廓
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概要
前身は熱田遊廓[1]。1912年(明治45年)4月、南区稲永新田において成立[2][注釈 1]。「錦町」の町名は移転に際して付けられた雅名であるという[4]。当初の規模は『愛知県統計書』によれば、貸座敷14軒・娼妓91人であり、熱田時代(1909年時点)の貸座敷38軒・娼妓160余人と比べると小さかった[2]。稲永遊廓は、中村遊廓と比較すると安価で遊べることが特徴であり、1対1で接客する中村遊廓に対して、2人以上の客を同時に取って接客する「廻し制度」を取っていたという[5]。また、客層はその立地もあり、船員が多かったとされる[5]。
脚注
参考文献
関連項目
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