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稲永新田
名古屋市港区の地名 ウィキペディアから
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稲永新田(いなえいしんでん)は、愛知県名古屋市港区の地名。丁番を持たない単独町名。現在、5つの小字が設置されている。
地理
港区南部に位置する。現在は道路用地などの僅かな部分のみが存在する。東・南は潮凪町、西は稲永、北は一州町に接する。字り・ちは、稲永東公園南東部に飛び地として存在し周囲を稲永三丁目に接する。
字一覧
稲永新田の一部には小字が残る。稲永新田の小字は以下の通り[WEB 3]。消滅した字については背景色 で示す。
歴史
稲富新田と永徳新田が合併して成立した稲永新田を前身とする。
- 稲富新田
- 永徳新田
町名の由来
行政区画の変遷
- 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡稲富新田と永徳新田が合併し、同郡稲永新田となる[4]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併に伴い、愛知郡寛政村大字稲永新田となる[4]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、愛知郡小碓村大字稲永新田となる[4]。
- 1907年(明治40年)7月16日 - 合併に伴い、名古屋市稲永新田となる[4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 南区成立により、同区稲永新田となる[4]。
- 1912年(大正元年)9月22日 - 台風により人家が壊滅的な被害を受ける[5]。30人死亡[5]。
- 1913年(大正2年)4月29日 - 名古屋尚農会により採種田が設置される[6]。
- 1930年(昭和5年)9月9日 - 一部が錦町となる[7]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 港区成立に伴い、同区稲永新田となる[4]。
- 1940年(昭和15年)10月15日 - 一部が一州町・稲永町となる[4]。
- 1985年(昭和60年)7月15日 - 一部が野跡一丁目から同五丁目に編入される[7]。
- 1987年(昭和62年)11月22日 - 一部が錦町および稲永一丁目から同五丁目に編入される[8]。
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 4]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 5]。
脚注
参考文献
関連項目
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