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稲波弘次
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稲波 弘次(いななみ ひろつぐ、1908年12月1日 - 1983年12月21日[1])は、日本の陸軍軍人、馬術選手。
経歴
1929年(昭和4年)7月、陸軍士官学校(41期)を卒業し、同年10月、騎兵少尉任官[2]。
1936年ベルリンオリンピックの馬術競技の2種目(障害飛越、総合馬術)に出場した[3]。結果は、障害飛越では35位、総合馬術では失権であった。障害飛越では朝富士という名前の馬に騎乗し、総合馬術ではギャロッピングゴーストという名前の馬に騎乗した[注釈 1]。
1920年にローマ東京間飛行を成功させたイタリア人飛行士(アルトゥーロ・フェラーリンなど)の世界初の偉業をたたえ、イタリア王妃に送られた記念帖に、稲波が12歳の時に描いた絵が収められている[4]。この記念帖には、他に後に画家となった田中孝(田中一村)、細谷達三や鉱山技師となった仲倉仙太郎(映画監督仲倉重郎の父)、建築家となった吉村順三の作品も収められている[5]。
息子は医師の稲波弘彦である。稲波弘彦氏は、上記記念帖の発見に驚き、上記サイトを立ち上げている[4]。
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注釈
- なお、Olympediaなどでは、総合馬術に出場したのは岩橋学となっている。
出典
参考文献
外部リンク
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