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稲瀬川栄治郎

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稲瀬川 栄治郎(いなせがわ えいじろう、1864年9月17日元治元年8月17日) - 1925年大正14年)1月22日[1])は、現在の茨城県笠間市出身で入間川部屋に所属した力士。本名は小幡 栄次郎。169cm、98kg。最高位は西前頭筆頭。

経歴

1889年幕下格で初土俵、四股名は師匠の入間川清藏が一時名乗っていたものに因む。1897年5月十両昇進。1902年1月新入幕、1910年6月廃業した。1907年6月から1910年6月までは最年長力士[2]。廃業後は男爵古河虎之助の家に召し抱えられ、身辺の世話や相撲の指導を行った[3]。大正14年1月22日東京滝野川区西ヶ原の自宅で腎臓病の為60歳で没する。東京都台東区谷中の慈雲山瑞輪寺に埋葬されている。

成績

  • 幕内17場所43勝50敗42休25分10預

改名

稲瀬川→頂→稲瀬川[4][5]

出典

参考文献

関連項目

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