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十両
大相撲における番付の名称 ウィキペディアから
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十両(じゅうりょう)は、大相撲の番付の1つ。正式名称は十枚目(じゅうまいめ)。大相撲で6つある番付上の階級のうち、幕内に次ぐ上から2番目の階級である(幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)。
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呼称・由来
江戸時代にはこの地位は存在せず、幕内の下の地位がすなわち「幕下」であった。1888年(明治21年)春場所、給与制度の導入に伴い、幕下の上位10枚目以内の力士に場所毎に給与を支給したことにより創設された。このことから、正式な名称を「十枚目」といい、かつては十両優勝の表彰式などでは「十枚目」の呼称を使っていた。しかし「十枚目二枚目」のように表現する煩わしさを避けるため、当時の年俸にちなみ「十両」の名で呼ばれることが一般的であり、現在の表彰式や本場所の場内アナウンス、日本相撲協会公式ホームページ、館内の勝敗電光掲示板、NHK中継のテロップなどは全て「十両」で統一されている。明治時代の資料では、「幕下上」との呼び名が見られる。
十両と幕下の歴史的な枚数の扱い
十両と幕下の枚数の扱いについては、現在では十両と幕下をそれぞれ別の階級として、十両で筆頭・2枚目・3枚目…という風に十両最下位まで枚数を付け、幕下でも筆頭・2枚目・3枚目…という風に幕下最下位まで枚数を付ける。しかし、歴史的に見れば、番付表記上十両が創設された(十両と現在でいう幕下が分離され、十両が現在でいう幕下より大きく太い文字で書かれるようになった)1888年(明治21年)以降も、大正の頃までは、番付表の上から2段目の十両と現在でいう幕下を通して「幕下」として枚数を数える方式が一般的であった。すなわち次の表のように数えられていた[1]。
1911年(明治44年)6月場所まで(十両10枚):
1912年(明治45年)1月場所から1926年(大正15年)1月場所まで(十両15枚):
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特徴
要約
視点
十両以上の力士は、真の意味でのプロの力士である関取として扱われる。
十両の番付上の表記は、歴史的に幕下上位から発生したため幕下とともに上から2段目に書かれているが、十両の方が太く大きい字で書かれ、十両の地位表示は1人ずつ「前頭」と書かれている。
十両昇進のうち、初めての十両昇進を新十両、二度目以降の十両昇進を「返り十両」あるいは「再十両」と呼ぶ。
元々が幕下の地位における上位10枚目までの立場であることの名残から、「関取」と呼ばれる地位の中では唯一、幕内(前頭以上の地位)と区別される独立した存在であり、幕下以下の各段と同様に「十両」という個別の枠組の中での対戦が原則となっている。また、優勝についても幕内とは区別されており、同じく幕下以下の格段と同様に十両枠で独立している。
待遇
→詳細は「関取」を参照
十両に昇進することは力士として一人前になった証とされ、幕下以下の力士養成員と違って[注 1]比較的高額の給料をもらえる(2019年現在の基本給は月110万円で年収は1711万7500円[2]であり、関取は力士褒賞金なども受け取れる)ほか、大部屋の集団生活から解放されて個室に住むことを許され、食事や風呂の順番も優先となり、公の場では紋付袴の正装を許され、日常生活では付け人の世話を受けられるなど、あらゆる面で大きく優遇され、十両と幕下では天と地ほどに待遇が違うとも言われるほどである。横綱や大関も含めて大相撲の関取が引退する時、「相撲人生の中で最も嬉しかったことは?」と聞かれて、ほぼ全員が「十両になれた時」と答えるのもそのためである。
一方で、新十両の力士は私物の新調など様々な準備が必要となるため、番付編成会議で十両昇進が決まった力士には(再昇進も含めて)すぐに昇進決定の通知が行われる。ただし、これはあくまでも力士本人や部屋の用意に配慮した「内示」であり、正式に十両の待遇となるのは新番付発表以降である[注 2]。
本場所では控の席で共用の紫一色の座布団を使用する(幕内力士は私物の座布団)。また夏場でも場所入りの際は羽織[注 3]の着用が義務付けられる(幕内力士は、四股名や柄を染め抜いた「染め抜き」と呼ばれる着物が着用できるうえ、染め抜き着用であれば場所入りは羽織も不要)。
これらのテーブルは力士 § その他力士の待遇からの抜粋です。[編集]
取組
本場所では15日間毎日取組が組まれる。
本場所の取組は原則十両同士であるが、休場などにより幕内の出場力士が奇数になった場合などには幕内力士と、関取全体の出場力士が奇数になった場合などには幕下力士と対戦することがある。休場が多くなると複数の繰り上げ取組が行われ、特に終盤にはいわゆる「入れ替え戦」が多く行われる。これにちなんで、筆頭力士を「貧乏神」「瀬切り」と称すことがある[注 4]。
十両の最後の一番(中入り前最後の一番)は「中跳ね(ちゅうばね)」と呼ばれ、幕内取組のうち一方または両方が小結以上である場合と同様、行司及び呼出の呼び上げが二声となる。これは大正期まで幕内取組が中入りの前後に分かれ、それぞれに横綱や大関の取組があった名残である。
定員
定員は、創設時は名称通り、東西10人ずつの計20人であった。大正期以降はそれよりも多い人数で上下するようになった。2018年1月現在、定員は14枚28人(2004年1月場所以降)。史上最多人数(枚数)は1958年1月場所から11月場所における24枚48人である。
優勝
優勝賞金は200万円。
十両では力士間の実力が拮抗している上に、幕内力士との対戦が組まれることもあるため、全勝力士は極端に少なく、全勝優勝経験者(1963年11月場所)の北の富士勝昭が2006年3月場所に自身以来43年ぶりとなる全勝優勝を果たした把瑠都を讃えて贈呈した賞金は俗に「北の富士賞」とも呼ばれた。過去には9勝6敗の十両優勝が出たこともある[注 5]。
引退後
引退に際し、関取を通算30場所(以前の規定では25場所以上)務めた力士は(幕内を経験していなくても)年寄を襲名する資格がある。部屋を継承する場合に限り関取通算20場所以上で資格を得る。2025年3月場所番付発表時点で、最高位が十両の年寄は大嶽(元十両4・大竜)のみ、最高位が十両で年寄襲名条件を満たしているのは白鷹山(最高位:十両3)のみである。
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昇進・陥落要件
十両に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではないが、関取については目安として、勝ち越し、負け越しの点数(勝数と、負数・休みの合計の差)と同じ枚数だけ番付が上下する。十両と幕下の入れ替え人数は十両力士の星取が主な判断要素となるが、現行内規では幕下15枚目以内で全勝すれば、優先的に十両に昇進させる扱いをしている。
前相撲から全勝を続けた場合、幕下通過には2場所かかると考えられていたため、番付外・序ノ口・序二段・三段目の各1場所と合わせて十両昇進は最短6場所で可能である、と長らく言われていた。実際、初土俵から十両昇進までの最短記録は6場所である(板井圭介・土佐豊祐哉・常幸龍貴之・炎鵬晃)。しかし2010年ごろから力士数の減少にともなってその分昇進する地位も繰り上がるようになり、2011年9月場所では一度十両に昇進した後、故障で番付外まで転落していた北勝国英明が前相撲から5場所での十両再昇進を果たした[注 6]。なお初土俵(前相撲)から5場所で十両に昇進したケースはまだないが、常幸龍、炎鵬のケースでは5場所目の地位がそれぞれ東幕下15枚目と西幕下14枚目で、7戦全勝すれば5場所での十両昇進が濃厚であった。
2000年9月から2023年9月まで、幕下付出の場合は、10枚目格・15枚目格共に、7戦全勝することで1場所での十両昇進が可能だった。2023年1月場所で落合哲也が15枚目格で7戦全勝をし、翌3月場所の新十両を決めた。しかし、15枚目格で7戦全勝を果たした下田圭将(2006年5月場所)は、十両からの陥落力士が少なく十両昇進はならず、翌場所は西幕下筆頭だった[注 7]。2000年までの制度の60枚目格付出の時代には、輪島大士・長岡末広・武双山正士・雅山哲士の4人が2場所での十両昇進を果たしている。
大関経験者が関脇以下に陥落後、幕内から十両に陥落することが確定的となった場合は、慣例的に引退するケースが殆どであったが、近年では大関経験者が現役中に十両以下に陥落するケースが増えてきている。
→詳細は「大関#陥落・大関特例復帰」を参照
記録
要約
視点
在位場所数
- 2025年7月場所現在
- 太字は現役力士
勝数・負数記録
当然ながら在位場所数の長さとの相関性がある。
十両で最も多くの白星を挙げた力士は大潮の436勝、栃勇及び蜂矢の399勝がこれに次ぐ。幕内在位歴がない力士に限定すると魄龍の334勝が最多である。
十両で最も多くの黒星を喫した力士は蜂矢の426敗、栃勇の404敗・大文字の390敗がこれに次ぐ。幕内在位歴がない力士に限定するとやはり魄龍の371敗が最多である。
2024年3月場所時点で、十両在位歴がありながら在位中の勝利が0の力士は以下の4人である。
- 1940年5月場所の小役丸は新十両場所を左踵の怪我の為に8日目(布引に負け)のみを出場し、9日目の不戦敗以降再出場せず0勝2敗13休。幕下陥落直後に応召し、復員することなく廃業した。
- 1942年1月場所の錦竜は新十両場所を全休し、同場所をもって廃業したため、関取在位歴がありながら1回も関取として本場所に出場せずに廃業した史上初の力士とされる。
- 1965年5月場所の楠ノ海は新十両場所を膝の怪我により全休し、再十両の機会もなく廃業したため、戦後に関取在位歴がありながら1回も関取として本場所に出場せずに廃業した唯一の力士とされる。
- 2020年9月場所の王輝は新十両場所を怪我により精彩を欠く相撲が続き15戦全敗となった。新十両場所での皆勤全敗は史上初めてである。以降は幕下以下に在位し続けたが、2024年5月場所をもって引退した。
連勝記録
十両在位中の連勝記録はほとんど残っていないが、栃ノ心は全勝優勝を達成する前の場所は終盤4連勝で取り終えたため、19連勝の記録を残している。
連敗記録
十両での全敗は年6場所制以後、過去に7人いる。1960年の双ツ龍は9月場所10日目から11月場所千秋楽まで21連敗を記録し、年6場所制での関取連敗記録となっている。
新十両成績
- 2025年7月場所現在。
- 太字の力士は、2025年5月場所現在、現役力士である。
- ◎の成績は、新十両優勝を指している。
優勝回数
昭和以降
全勝優勝
十両は人数が少ないため、優勝争いで混戦になることが多い。幕内では10勝5敗での優勝は過去に例が無く、11勝4敗でも過去に4回しか例が無い[注 8]が、十両では10勝5敗や11勝4敗が優勝者の最高成績となることが頻繁にある。2001年7月場所では9勝6敗での優勝が記録され、あまりにも成績が低過ぎるとして理事会で優勝無しが検討されたほどである。故に十両は15戦全勝を達成することが極めて困難な地位として知られる。後述のように、関取の1場所15日制が定着する以前にも十両での全勝優勝を経験した者は数人居るが、これは現在よりも取組数が少ないために達成が比較的容易だったという要素もある。
2024年3月場所終了時点で15戦全勝を達成した力士は下表の5人であり、全勝優勝を達成した力士は最終的に全員が大関以上の地位に昇進している。
連続優勝
十両は枚数が少ない関係上、十両優勝力士が翌場所に幕内に昇進するケースの方が、十両に据え置かれるケースよりも多い。そのため、十両での連覇発生は、1回目の優勝の際に中位~下位に在位していた・優勝のレベルが低かった・幕内昇進枠に対し十両の(優勝力士以外の)好成績者が多かったなど、偶然性にも左右される。1909年6月場所に優勝制度が導入されて以降、十両で連覇を経験した力士は以下の21名である。1場所目の太字は当場所が新十両だったケースである。
2場所連続の十両全勝優勝及び3場所連続の十両優勝は過去に例が無い。また、関取の1場所15日制定着以降に連覇を達成した力士の中で1場所目もしくは2場所目のいずれかで全勝優勝を達成しているのは栃ノ心剛ただ1人である。
なお、上述しているように、十両は枚数が少ない関係もあり、優勝した場合は十両据え置きよりも幕内昇進となる場合が多いため、1場所目で全勝優勝を達成した場合は番付(枚数)に関係なく幕内昇進がほぼ確実となるため、1場所15日制が定着している現在は2場所連続全勝優勝はまず不可能であると考えられる。
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歴代優勝力士(昭和60年以降)
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十両格行司・十両呼出
行司・呼出共通事項
行司・呼出のうち、十両(十枚目)に相当する階級の者を十両格行司(十枚目格行司)・十両呼出(十枚目呼出)と呼ぶ。本場所の本割では1日の取組の中で1人につき2番を担当し(裁き・呼び上げ)、十両の取組を担当するほか、行司・呼出の人数と取組の番数の関係で、下位の者は幕下の取組を担当することがある。極端な例では、十両呼出が三段目の取組を呼び上げる例もある。また十両優勝決定戦も十両格行司・十両呼出が務める。
十両格行司・十両呼出以上の行司・呼出は「有資格者」と呼ばれ、取組の際の場内アナウンスでは基本的に十両格行司・十両呼出以上の行司・呼出のみアナウンスで紹介される。ただし、優勝決定戦では幕下格行司・幕下呼出以下であってもアナウンスで紹介される。
十両格行司
十両格行司が土俵に上がると、土俵の照明が明るくなる。十両格以上の行司は、兄弟子となり、三段目格以下の行司を付け人として従える。十両格行司の装束の菊綴と軍配の房紐の色は、青白(青は実際には緑色)であり、白足袋履きで、土俵控えまでの入場時は草履を履いているが、土俵入りの時は花道で脱いで行く。本場所では前述のように十両または幕下の取組を担当するほか、十両土俵入りの際の先導行司も務める。
番付表や、場内の観客に配布される取組表では、行司は十両格行司以上かどうかを問わず行司(取組表の場合は出場者)全員が記載される。
十両呼出
十両呼出への昇格規定は、「勤続15年以上で成績優秀な者、または勤続10年以上15年未満で特に優秀な者」となっている。また十両呼出の定員は8人以内との規定があるが、近年は長年定員オーバーの状態が続いている。
番付表や、場内の観客に配布される取組表では、呼出は十両呼出以上が記載され、幕下呼出以下は記載されない。
現役者
2025年1月場所現在、現役の者は次の表の通りである:
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脚注
参考文献
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