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稲田町 (茨城県)

日本の茨城県西茨城郡にあった町 ウィキペディアから

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稲田町(いなだまち)は、かつて茨城県西茨城郡にあった

概要 いなだまち 稲田町, 廃止日 ...

地理

現在の笠間市西部に位置する。山がちな地形であり、涸沼川の支流が流れていた。

大字

  • 福原(ふくはら)
  • 飯合(いいごう)
  • 稲田(いなだ)

人口・世帯数

人口
1891年(明治24年) 2,973人
1920年(大正 9年) 5,396人
1935年(昭和10年) 6,517人
1950年(昭和25年) 7,736人
1956年(昭和31年) 7,708人
世帯数
1920年(大正 9年) 1,080世帯
1935年(昭和10年) 1,231世帯
1950年(昭和25年) 1,448世帯
1956年(昭和31年) 1,426世帯

歴史

町域の変遷

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、福原村・飯合村・稲田村が合併して西茨城郡西山内村(にしやまうちむら)が発足。
  • 1954年(昭和29年)8月15日 - 西山内村が町制施行・即日改称して稲田町が発足。
  • 1958年(昭和33年)2月15日 - 稲田町が西茨城郡笠間町に編入される。

変遷表

さらに見る 1868年 以前, 明治11年 ...

経済

明治時代までの稲田は農村だったが[1]、明治時代中期以後には花崗岩である稲田石の採石業で栄えた。鍋島彦七郎によって稲田石の採掘が本格的に開始されると、稲田駅から鉄道によって東京などに運ばれ、近代には国会議事堂最高裁判所東京駅などの建物に用いられた[2]

交通

Thumb
稲田駅

鉄道

道路

脚注

参考文献

関連項目

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