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稲葉賀恵

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稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭和14年)12月18日 - )は、日本ファッションデザイナーモデル

概要 いなば よしえ 稲葉 賀惠, 生誕 ...

来歴

東京出身。八重洲生まれ、鎌倉横浜育ち。祖父・父は横浜でタイプライターを取り扱う「稲葉商会」を営んでいた[1]

1958年横浜雙葉学園を卒業。1960年文化学院美術科を卒業。文化学院の同級生に山東昭子鳥居ユキ安井かずみ菊池武夫1963年菊池と共に原のぶ子アカデミー洋裁学園(現・青山ファッションカレッジ)を卒業[2]。その頃東京に進出した欧米のオートクチュールのアトリエで働くことを志願したが叶わず、1964年赤羽に自らのアトリエを開いた[3]。その後1970年菊池大楠裕二とともに、ビギ(BIGI)を設立[4]。アトリエは後に麻布十番に移転。

1972年に「モガ(MOGA)」を、1981年には自らの名を冠した「ヨシエ・イナバ(yoshie inaba)」を発表。同年、日本ファッション・エディターズ・クラブ賞を受賞した。 1984年「ヨシエ・イナバ・パルファム」を発表する。1988年には"快適さ"をテーマとしたカジュアル・ウエアのブランド「レキップ・ヨシエ・イナバ」を発表。

2025年2月末で「ヨシエ・イナバ」ブランドをクローズ[5][6]

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人物

日本航空日本アジア航空東急電鉄など企業の制服や、ジュエリーデザインや結城紬のアドバイザーなど、多分野で活躍。1963年からは雑誌『ミセス』の専属モデルも務め、雑誌が描く理想的なライフスタイルを体現する女性として、2000年代まで和装洋装問わず登場した。

2012年、契約解除に伴う制服設計図流出問題で日本航空を提訴した[7]

1963年ファッションデザイナーの菊池武夫と結婚し、男児をもうけるも離婚[8]。離婚を機に占い師のアドバイスで「佳枝」から「賀惠(恵)」という名前を名乗る[9]

ブランド[5]

  • ヨシエ・イナバ
  • レキップ ヨシエ・イナバ
  • ヨシエ・イナバ・パルファム
  • クシュカ(CUSUKA)
  • ペーパーウェイト
  • ビギ
  • モガ

ユニフォーム・制服[5]

書籍

脚注

参考文献

外部リンク

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