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笠井信一

日本の内務官僚、政治家 ウィキペディアから

笠井信一
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笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本内務官僚政治家貴族院議員

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笠井信一

経歴

静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。静岡県立静岡中学校[1]第一高等学校を経て、1892年帝国大学法科大学を卒業した。

1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。その後、警保局監獄課長、山形県参事官岩手県警察部長、高知県書記官台湾総督府事務官、台南県書記官、岐阜県書記官、新潟県書記官、同県第一部長、熊本県第一部長などを歴任。

1907年1月、岩手県知事に就任。1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。1914年6月、岡山県知事に転じた。1917年5月、後の民生委員制度の先駆となる済世顧問制度を制定した[2]1919年4月、北海道庁長官に就任。

1921年5月、貴族院勅選議員に任じられ、交友倶楽部に属し死去するまで在任した。

栄典

位階
勲章等

著作

  • 『済世顧問制度の精神』1928年[7]
  • 『笠井明府頌徳誌』1941年[8]
  • 『笠井信一集』全国民生委員児童委員協議会、1988年。

脚注

参考文献

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