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第二次シヴェルシクの戦い
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第二次シヴェルシクの戦い(だいにじシヴェルシクのたたかい)は、ロシア軍およびドンバス分離主義軍とウクライナ軍との間で起きたドネツク州のバフムート地区シヴェルシクを巡る戦いである。シヴェルシクはバフムートの約30km北部、スラビャンスクの約30km西に位置する戦略的に重要な都市でありロシア軍は開戦初期からこの都市への攻撃を行っていた。開戦初期の第一次攻撃が失敗に終わると、ビロホリウカ手前までロシア軍は後退し、以降膠着状態が続いてきた。しかしロシア軍はシヴェルシクの占領を目指し攻撃を行っていった。
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背景
→詳細は「シヴェルシクの戦い」を参照
シヴェルシクは開戦初期からロシア軍の攻撃目標となり、戦いが起こってきた。セヴェロドネツクやリシチャンシクの占領後、ロシア軍はシヴェルシクの占領を目指し攻撃を行なってきた。 2022年8月にはシヴェルシクから15km圏内にあるビロホリフカとフリホリウカを占領[1][2]。スピルネ、ヴェルフニョカミアンスケ、にロシア軍は到達しシヴェルシクから約2kmのところまで到達した[3]。しかし、それ以上前進することは叶わず、ロシア軍はスピルネとイヴァノ=ダリウカの防衛線の突破に失敗し、深刻な損害を負い11月までにビロホリウカ、シピリフカ、リルチョリヴガル、ゾロタリヴカ、ヴェルノフカミアンカまで撤退した[4]。
その後は、ロシア軍は幾度となく無謀な攻撃を行なったがいずれの攻撃もウクライナ軍の強固な防衛線や地形的有利、ドローン、ロシア軍司令官の汚職、相次ぐ不手際により大損害を負って失敗した。ビロホリウカ付近で戦線は膠着し、2年半以上に渡りロシア軍はビロホリウカ付近で多大な損害を出していた。[5]
2025年4月以降、ロシア軍はシヴェルシク地域を担当する司令官の更迭などの改革を行いビロホリウカ付近の採石場に前進、それ以降ロシア軍はシヴェルシクに向け前進していった[6]。
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戦闘経過
要約
視点
2025年4月-7月
2025年4月20日、ロシア軍は2年以上に渡り前進を阻んできたビロホリウカの採石場を占領した[7]。
6月11日、ロシア軍はビロホリウカの大部分の占領に成功し約4km先のフリホリウカにも到達した[8]。
6月22日には約2km前進しヴェルノフカミアンカの大半を占領した。また、6月下旬頃には、フリホリフカからほとんどウクライナ軍を追い出すことにも成功しフリホリフカから2km離れたセレブリャンカ郊外にロシア軍は前進し、シヴェルシクへ数kmのところまで接近した[9]。
7月29日、ロシア軍はシヴェルシクから約2kmのところまで進出した。ロシア軍はシヴェルシクに向け機械化部隊を用いた大規模攻撃を行った。装甲車での攻撃はかつての人命を無視した攻撃ではなく兵士の安全を確保させた形での攻撃だった。ロシア軍戦車2両がシヴェルシク郊外へ無謀な突撃を行なったがウクライナ軍の反撃を受けたことによりさらなる損害を防ぐため司令官は攻勢を中止し部隊を撤退させた。その結果大損害を負うミスを回避することに成功した[10]。
7月31日、ロシア軍はウクライナ軍の状況把握能力の不備を利用しヴェルノフカミアンカを占領した。さらにシヴェルシクから約1km離れたシヴェルシクへの攻撃ルートに辿り着き攻撃を行なった。[11]
8月-10月 セレブリャンカの森林地帯の突破
8月7日、ロシア軍は長らく前進できていなかったシヴェルシク北部に位置するセレブリャンカ自然保護公園での前進に成功した。ロシア軍は3km前進しシヴェルシクから北東に約4km離れたセレブリャンカに約2.5kmのところまで接近した。また、ロシア軍はセレブリャンカ東部に向け装甲車を用いた攻撃を行なったがドローンにより全てが排除された[12]。
8月20日、ロシア軍はセレブリャンカの森林地帯で約2km前進した。さらにロシア軍はフリホリフカを完全に占領した[13]。また、ロシア軍はセレブリャンカにも浸透し両軍の歩兵が入り乱れ戦闘を行なっている[14]。
ロシア軍はセレブリャンカの森で前進し続け、22日に、西へ約3km、南へ約3km前進し、24日にヤムピリ方向へ約4.5km前進した[15][16]。9月7日、ロシア軍はシヴェルシク北東郊外に到達した[17]。9月17日、セレブリャンカの森林地帯からウクライナ軍は押し出されロシア軍がセレブリャンカ自然保護公園を占領した[18]。
10月13日、ロシア軍はセレブリャンカからドロニフカに到達し、約5km間の広大な範囲がグレーゾーンになった[19]。
11月ー現在 ロシア軍の市内侵入と市街戦の激化
11月下旬頃からウクライナ軍にとってシヴェルシクの状況は悪化しポクロウシク方面での消耗により兵力不足が発生し、同月17日にシヴェルシク南郊外にまでロシア軍の前進を許した。また、シヴェルシク南西のズヴァニフカでも激しい戦闘が確認され、ロシア国防省はシヴェルシク北西のプラトニフカを占領したと報告し、シヴェルシクへ繋がる補給路周辺にもロシア軍は前進した[20]。
18日には、ロシア軍兵士が市内に侵入し行動を行なっている姿が確認された[21]。
11月23日、ロシア軍はズヴァニフカを占領しシヴェルシクを半包囲状態に置くことに成功した。市に繋がる補給ルートは全てロシア軍の火力管制下に敷かれ、シヴェルシクのウクライナ軍は危機的状況に置かれた[22]。
11月25日、ロシア軍はシヴェルシク東市内全域に侵入することに成功し、ウクライナ軍はシヴェルシク東市内の支配を失った[23]。
12月6日、シヴェルシク市内の大部分が戦闘地域になったことが確認された[24]。さらに、12月9日にロシア軍はシヴェルシク東市街地を占領し[25]、ロシア側のミルブロガーのRYBARはロシア軍がシヴェルシク市内の駅周辺を占領したと報告した[26]。
12月11日、ウクライナ側のオープンソース情報機関のdeep stateはシヴェルシク市内のロシア兵を捜索し、排除しているもののロシア兵の侵入ルートがいくつもあるため、その数はますます増えていると報告した[27]。
同日、ロシア軍兵士がシヴェルシク東市街地、市北東の記念碑、市北部の耐火物工場、市中心部の鉄道駅、市北西郊外、その他市全域で国旗を掲げている映像が確認され、ロシア軍が事実上シヴェルシクを占領した[28]。
また、ロシアのワレリー・ゲラシモフ総参謀長は、ウラジーミル・プーチン大統領が主宰したオンライン会議で、シヴェルシクをロシア軍が解放したという報告行った。プーチン大統領は報告を受けた際、ロシア軍を祝福し「敵はシヴェルシクに要塞化された防御線を構築して我々を遅らせようとしたが失敗した。諸君は計画したすべてを成功裏に遂行した。」と述べた[29]。
ロシアのアンドレイ・ベロウソフ国防大臣は第6独立親衛自動車化狙撃旅団と第123独立親衛自動車化狙撃旅団の指揮官及び全隊員に対し、「特別軍事作戦の遂行中、親衛兵士たちは最も困難な方面で戦闘任務を遂行し、勇気と大胆さを示し、祖国で敵を打ち破り、我々の勝利を近づけている」と述べ、祝電の意を表した[30]。
RYBARもウクライナ軍が市内の拠点を放棄しシヴェルシクから撤退し、ロシア軍が市内を掌握したと報告した[31]。
ロシア軍の第6独立親衛自動車化狙撃旅団は平和な住民への医療支援提供を目的として、集合住宅や個人宅の戸別訪問を実施し、地元住民はロシア軍の軍人を迎え入れ、都市の『解放』に感謝していると報告された。また、必要に応じて、希望するすべての住民は安全な地域に避難させられ、必要な援助がすべて提供される一時滞在施設に収容されるとした[32]。
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脚注
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