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第二次臨時行政調査会
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第二次臨時行政調査会(だいにじりんじぎょうせいちょうさかい)は、臨時行政調査会設置法を根拠として1981年(昭和56年)に発足し、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく[2]、行財政改革についての審議を行った。会長を務めた土光敏夫(経団連名誉会長)の名前から「土光臨調」とも呼ばれる。
概要
臨時行政調査会設置法 第2条
調査会は、行政の実態に全般的な検討を加え、行政制度及び行政運営の改善に関する基本的事項を調査審議する。
行政改革を謳い文句に、各省間の総合調整、各省定員、予算編成権の抜本的な検討が、政界や財界を中心にして提案された。程なくして、概算要求基準で予算の伸び率をゼロとする「ゼロ・シーリング」が導入され、それが第二次臨調答申前に閣議決定されたことで、行政改革を財政再建の"行財政改革"にすり替え転化させた大蔵省が主導する予算編成権に関する抜本的な変化はなかった[3]。
ただし、政治的圧力や官僚の抵抗を受けつつも、田中角栄等の大物政治家の支持を取り付け、三公社民営化などの提言は、中曽根康弘政権の一連の行政改革に結実していった[4]。また、総合管理庁構想は、後の総務庁の設置、橋本龍太郎政権における省庁再編につながっていると考えられる。
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実施提言
『増税なき財政再建』とは、当面の財政再建に当たっては、何よりもまず歳出の徹底的削減によってこれを行うべきであり、 全体としての租税負担率(対国民所得比)の上昇をもたらすような税制上の新たな措置を基本的にはとらない、ということを意味している。
—臨調最終提言 p.23
官業民営化
国鉄、電電、専売三公社については、政治的関与や監督機関の介入、惰性的経営等を排して、経営を刷新し自立的で創意に富む経営が行われるよう、経営形態を国鉄については分割·民営化、電電公社については再編成·民営化、専売公社については民営化するとともに、適切な競争条件を設定する。
—臨調最終提言 p.31
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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