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第6回東京優駿大競走

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第6回東京優駿大競走
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第6回東京優駿大競走(だい6かいとうきょうゆうしゅんだいきょうそう)は、1937年4月29日東京競馬場で施行された競馬の競走である。中島時一騎乗のヒサトモ牝馬および関西馬として初めて日本ダービーを優勝。同競走史上初の良馬場のなかで大幅にレコードタイムが更新された。

概要 開催国, 主催者 ...

レース施行時の状況

出走17頭中、トウルヌソルシアンモアの産駒が併せて15頭を占めていた[1]。1937年は「西高東低」の傾向が強く、阪神の帝室御賞典をレコード勝ちした関西のシアンモア産駒ゼネラルが高い評価を得て圧倒的な1番人気となった[1]。そのほか、関西馬としてトウルヌソル産駒の牝馬ヒサトモや、サンダーランド、ツバクロダケがいた[1]。関東馬のなかではハツピーマイトが代表的存在で、2番人気の支持を受けた[1]

出走馬と枠順

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当日の競馬場模様

東京優駿は6回目の施行にして初めて好天に恵まれた[3]。馬場も同競走初の良馬場となった[3]

競走結果

発馬からミスターシービーが逃げ、これにヒサトモ、ツバクロダケが続いた[3]。1コーナーで2番人気ハツピーマイトは腹帯が外れるアクシデントに見舞われ、また1番人気ゼネラルは馬群の中に入って苦しい格好となった[3]。2コーナーからはヒサトモが先頭に立ち、向こう正面では2番手以下を5馬身近く離す逃げを打った[3]。ヒサトモは最後まで依然として脚色を衰えさせることなく、そのまま押し切って優勝[3]。4コーナー手前から進出したサンダーランドは、ツバクロダケとの長い競り合いの末に2着に入った。追い込んだゼネラルは3着ツバクロダケから4馬身遅れて4着となった[3][4]

ヒサトモは日本初のダービー牝馬となった[3]。2着にはサンダーランドが入ったが、牝馬の「ワンツー」が決まったことは、日本ダービー史上唯一のことである[5]。関西馬による優勝も初のことで、1着から4着までを全て関西馬が占めた[3]。良馬場で競われたことから、勝ち時計の2分33秒+35ガヴアナーのレコードを8秒以上更新する大幅なレコード更新になった[3][4]

競走着順

さらに見る 着順, 競走馬名 ...
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脚注

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