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第7方面軍 (日本軍)
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第7方面軍(だい7ほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。
沿革
占領地域が増え、それまで南西地域で統一した作戦・軍政を行う部隊がなかったことから、大本営は1944年(昭和19年)3月27日に南方軍戦闘序列を更改し新たに編制された。南方軍隷下でシンガポール方面の作戦・防衛を担当した。
編制完結は4月15日。当初の隷下兵団は第16軍、第25軍、第29軍、ボルネオ守備軍の4つだったが、ボルネオ守備軍は第37軍に改編され指揮下から離れた。1944年(昭和19年)4月25日に、方面軍司令部のあるシンガポール(当時は昭南市)防衛の為、「昭南防衛隊」の編制を下令し、10月14日編制完結。
1945年(昭和20年)5月頃から方面軍はシンガポールの守備に特に力を注ぎ、同地に展開していた第3航空軍司令部・海軍の第十方面艦隊司令部と連携する。新たな陣営を構築している最中に終戦。
同年9月11日、司令官である板垣征四郎が降伏文書に調印した[1]が、旧宗主国大英帝国がナチス・ドイツの攻撃を受けて再進出どころではなかったため、ひとまず治安維持部隊として残留。1946年(昭和21年)6月に英国軍に引き継いで、任務完遂を果たした。
→詳細は「日本占領時期のシンガポール § 占領の終焉」、および「シンガポールの歴史 § 日本による占領と軍政」を参照
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第7方面軍概要
- 通称号:岡
- 編成時期:1944年3月22日
- 最終位置:シンガポール
- 最終上級部隊:南方軍
第7方面軍の人事
歴代司令官
歴代参謀長
歴代参謀副長
歴代高級参謀
- 櫛田正夫 大佐:1944年3月22日 -
- 不破博 大佐:1944年9月14日 -
- 佐藤直 大佐:1945年7月18日 -
参謀部
- 高級参謀:今岡豊 大佐(第3課長、陸士30期、第3航空軍参謀を兼任):1944年(昭和19年)3月22日 - )
- 情報参謀:桑原長 中佐
- 作戦参謀:糸賀公一 中佐
- 作戦参謀:森文雄 中佐(軍政監部参謀の兼職)
- 鉄道参謀:上杉源之 少佐
- 航空参謀:宮崎正直 少佐
- 航空参謀:原田稔 少佐
- 参謀:都渡正義 大佐
- 参謀:内藤清 中佐
- 参謀:稲葉正二 少佐
- 参謀:枦山徹夫 少佐
副官部
- 高級副官:山田進 大佐(陸士37期)
司令部各部
最終所属部隊
- 直轄部隊
- 第46師団
- 独立混成第26旅団
- 昭南防衛司令部(1944年4月25日組織、軍令による編成完結は10月14日)
- 独立重砲兵第13連隊:小原文雄大佐(1945年6月15日に独立重砲兵第2大隊を改編)
- 第7方面軍軍政監部
- 総務部:(兼)志村文雄少将(第7方面軍参謀副長)
- 参謀:森文雄中佐
- 会計部:小林覚太主計大佐
- 南方軍幹部候補隊:中村淳次少将
- 南方軍下士官候補者隊:鈴木善康大佐
- 南方軍経理教育部
- 南方軍教育隊:明石泰二郎大佐(1944年5月7日 - 1945年3月9日、後に少将)
- 昭南憲兵隊:中村数雄中佐
- 直属兵站部隊
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脚注
参考文献
関連項目
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