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昭和海運 (愛媛県)
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昭和海運株式会社(しょうわかいうん)は、愛媛県今治市常盤町に本社を置く企業。かって瀬戸内海汽船と共同で三原・今治国道フェリー(広島県三原市~愛媛県今治市)の航路を運航していた。
概要
笹の井酒造・村上汽船部として、明治時代・大正時代頃から今治市から島廻りで尾道までの旅客航路を運航していた[1]。戦時中、燃料統制に伴い、村上汽船部などで愛媛汽船統制組合(現:愛媛汽船)を設立した[2]。
1956年に「昭和海運株式会社」を設立し、1959年に西瀬戸内海で初めて今治~三原間に貨物フェリーを就航させた[2]。フェリー開始に当たっては今治を起点とし本州の終点をどこにするのかについて、現地視察を繰り返し、国鉄呉線の分岐点でもある三原市が将来交通の要衝になると判断し三原を本州の終点に決定した[1]。当時は自動車航送の荷主の確実な見込みもなかった事から日本通運と提携し、一定量の需要を確保するために(通)のマークを付けて運航を行っていた[1]。またフェリー用岸壁や潮の干満に合わせた専用の浮桟橋もなかった事から自動車の乗降時には2本の歩み板を渡し、その上にバスやトラックを通すという方法で乗降を行っていた[1]。
1968年には瀬戸内海汽船と共同運航を開始し、一般客の乗船も開始した[1]。
1972年には同航路に高速艇を就航[2]。1975年には水中翼船を就航させた[2]。高速船は、1975年に山陽新幹線岡山駅~博多駅間が開通し、三原駅で停車するようになって以降、愛媛県からの新幹線利用客に好評でピーク時には年間40万人が利用した[3]。しかし1988年の瀬戸大橋が開通により、四国の鉄道が本州と直結すると高速船の利用者は減少し、1997年には約18万人まで落ち込んだ[3]。1998年4月5日に明石海峡大橋が開通し、神戸淡路鳴門自動車道が全線開通するのに伴い、同年4月5日に高速船は廃止となった[3]。
高速船廃止後も、フェリーの運航は継続されていたが、1999年5月1日のしまなみ海道開通に伴う航路再編で同年5月1日にフェリーも廃止となった[4]。
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沿革
関連会社
- 株式会社笹の井
脚注
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