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箱館桝形
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概要
江戸幕府前直轄時代に地蔵町(旧町丁名)と鶴岡町(旧町丁名)の境にある[2]箱館入口杭がある場所に設けられた番所で[3]、箱館の市街地に出入りする旅人を検問していた。形が方形で周囲に土堤や木柵で囲っていたので桝形と呼ばれた。町の拡大とともに亀田側へ人家が建て並んだため、安政5年2月に江戸幕府が撤去した[4]。跡地は貸し長屋が建設された[5]。現在の位置は函館市企業局交通部運営の路面電車停留場「魚市場通停留場」付近[6]。
松浦武四郎の『蝦夷日誌』(1845年<弘化2年>)によると、番所の付近には一軒の茶屋があって送り迎えをする人や夕涼み、春の潮干狩りの行楽客でにぎわいがあったとする[7]。茶屋の店名は清水屋で、奥地(さらに北の方向)に向かう人の送別会などが開かれた[6]。
脚注
参考文献
関連項目
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