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大塚金剛神
横浜市港北区の正体不明の塚。 ウィキペディアから
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大塚金剛神(おおつかこんごうしん)は、神奈川県横浜市港北区富士塚1丁目26-8に所在する由緒不明の塚である。篠原古墳(しのはらこふん)とも呼ばれるが、実際に古墳時代に遡る古墳であるかは不明である。
伝承
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によれば、次のようにある[1][2]。
篠原村(中略)大塚 村ノ東畑ノ中ニアリ 高一丈許 鋪ノ径四間許 コノ塚ノ傍ヲホレハ タマタマ永楽銭ナトヲ得ルヨシ土人イヘリ イカサマニモ古塚ナルヘケレト 何人ノ塚ナルコトハ今ヨリ考フヘカラス — 新編武蔵風土記稿
これに対し、横浜市港北区が1992年(平成4年)に発刊した書籍『港北の遺跡をたずねて~案内は石仏さん』には次のようにある[1]。
この塚には次のような話がある。加藤家の先々代民八氏は、夢の中で大塚古墳から戦いに敗れた鎧武者たちが出て食べ物をくれと訴えた。翌日塚の前で供養すると再び夢の中に元気な武士が現れ、礼を述べて塚の中に消えていった。そこで民八氏と村民は塚を清掃し「大塚金剛神・大塚大明神」として、供養を続けることとなった。
このように、古墳時代の古墳ではなく、戦国時代頃に戦死した武士を弔って造られた中世の塚の可能性もある。「大塚金剛神」と書かれた塚の上の石柱は、1912年(大正元年)に建てられたものである。
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脚注
参考文献
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