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慧可断臂図
雪舟の絵画 ウィキペディアから
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『慧可断臂図』(えかだんぴず)[1]は、室町時代の雪舟による水墨画・禅画。国宝に指定されている[2]。
場面
伝説によれば、達磨はインドから中国に来て、梁の武帝に面会した後、嵩山少林寺で「面壁九年」と呼ばれる座禅修行に入った[3]。そこに慧可(当時の名は神光[4])が訪れ弟子入りを願ったが、達磨は耳を貸さなかった[3]。何度訪ねても変わらず、ある冬の雪の日、慧可は自らの求道心を示すため、刀で左腕を切断した[5][3]。達磨はこれを受け「達磨安心」と呼ばれる禅問答をし、慧可の弟子入りを認めた[6]。
絵画
畳約一条分(縦183.8、横112.8cm)の巨大な紙に描かれており、達磨はほぼ等身大に描かれている[4]。
達磨の衣は極太の淡墨で簡潔に描かれている[6]。そのため身体が背景の洞窟に消え入るかのようだが、顔は濃墨で強調的に描かれている[6]。
慧可の血や口に赤色が使われており、慧可の苦痛が読み取れる[8]。水墨画で墨以外の色を使うことは珍しくないが、本作では効果的な演出となっている[4]。
洞窟のゴツゴツとした岩肌は、「皴法」という中国絵画由来の技法で描かれている[4]。穴が空いた岩は雪舟がよく描いたモチーフである[4]。
本作は様々な解釈ができる[6]。一見コミカルなデザインだが[6]、緊張感が漂う[6][4][2]。大胆さと繊細さ、画面構成の面白さが光る作品とされる[4]。
成立
雪舟が明から帰国して約30年後、77歳のとき、1496年(明応5年)に成立した。絵画左側に「四明天童第一座雪舟行年七十七歳謹図之」の款記と「雪舟」「等楊」の印章がある[2]。「四明天童第一座」は雪舟が明で授かった称号である[4]。
絵画の巨大さや精緻さから、権力者からの注文制作と考えられる[2]。
構図などにおいて、明の戴進『達磨六代祖師図巻』の影響を受けていると言われる[9]。
伝来
雪舟没後の1532年(天文元年)尾張国知多郡大野城主佐治氏の佐治為貞によって、同地の斉年寺に寄贈された[2][1]。これは別途保存された絹地墨書から分かる[2]。
2004年(平成16年)国宝に指定された[10][2]。雪舟は本作のような人物画よりも山水画を多く残しており、他の国宝5点が山水画であるなか本作が唯一の人物画となっている[2][4]。
関連項目
脚注
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