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細川興文

肥後宇土藩5代藩主。細川興生の三男。母は竹間氏(妙禅院)。従五位下、中務少輔 ウィキペディアから

細川興文
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細川 興文(ほそかわ おきのり)は、肥後国宇土藩の第5代藩主。

概要 凡例細川 興文, 時代 ...
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生涯

第3代藩主・細川興生の三男。母は竹間氏(妙禅院)。官位は従五位下、中務少輔。幼名は哲之助。初名は興周(おきちか)。

延享2年(1745年)、嗣子の無かった兄・興里の養嗣子となり、同年の興里の死去により家督を継いだ。この頃、宇土藩でも財政窮乏化が進んでいたが、興文は本家の熊本藩細川重賢と協力して藩政改革に取り組んだ。興文はなどの栽培を奨励し、儒学者江口恵次郎を招聘して藩校温知館を創設する。さらに茶道においても小堀長順を招聘して学ぶなど、殖産興業政策や教育制度の確立に尽力した。明和9年(1772年)正月25日、病により家督を三男の立礼に譲って隠居し、月翁と号した。天明5年(1785年)7月5日、63歳で死去した。

文化人としても優れており、隠居した翌年には蕉夢庵を建築し、茶道書である『平置諸品集』や歌集である『桂源遺稿』『自家便覧』など多くの著作を残している。

系譜

父母

正室

側室

  • 雨森氏
  • 長照院 (薗氏)

子女

  • 長男:細川興武 熊之進。生母は八条隆英の娘 
  • 長女: 生母は八条隆英の娘
  • 二女:謡台院 生母は長照院。細川治年正室
  • 二男:細川松三郎 生母は雨森氏
  • 三女: 生母は雨森氏
  • 三男:細川斉茲 生母は長照院
  • 四男:細川孝応 雅楽助。生母は長照院
  • 五男:石川総彬 生母は長照院
  • 四女: 生母は長照院。 丹羽氏福正室
  • 六男:細川興章 左膳、冬菊。生母は長照院
  • 五女: 生母は長照院。 難波宗享正室

脚注

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