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織田信乗
日本の江戸時代中期の武士 ウィキペディアから
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織田 信乗(おだ のぶのり)は、江戸時代中期の上野国小幡藩の世嗣。通称は数馬。
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生涯
4代藩主・織田信就の三男として誕生。
享保12年(1727年)3月27日、兄・信房の廃嫡に伴って父・信就の嫡子になった。享保15年(1730年)10月16日、眼病が治らないために廃嫡された。代わって、弟・信右が嫡子になった。明和9年(1772年)9月16日、死去。
系譜
正室はいない。『寛政重修諸家譜』によれば二女がある。長女は滝川利端室、次女は織田信邦正室となった。ただし、「御代々様・御連枝様方御事跡」によれば、次女(織田信邦室)は養女(実父織田信右)としている。おそらく、信右が部屋住のときに生まれた娘であり、嫡子になった信乗が引き取ったのであろう。
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