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織田信貞 (丹波柏原藩主)

江戸時代後期の大名、丹波国柏原藩の第7代藩主 ウィキペディアから

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織田 信貞(おだ のぶさだ)は、江戸時代後期の大名丹波国柏原藩の第7代藩主通称は瀬之助、千之助、大学。官位従五位下出雲守。高長系織田家10代。

概要 凡例織田信貞, 時代 ...

生涯

享和3年(1803年)、第5代藩主・織田信守の長男として江戸にて誕生した。初名は長保。織田信古の養子となる。

天保13年(1842年)2月15日、第12代将軍・徳川家慶御目見する。同年3月9日、信古の隠居により家督を相続する。天保14年12月16日(1844年)、従五位下・出雲守に叙任する。儒学者小島省斎を招き、藩で講義を行なわせた。

弘化3年12月18日(1847年)、柏原において死去、享年44。柏原・徳源寺に葬られた。跡を養子の信敬が継いだ。

系譜

  • 父:織田信守(1772年 - 1840年)
  • 母:田中氏
  • 養父:織田信古(1794年 - 1847年)
  • 正室:寿姫 - 堀直庸の四女
  • 養子
    • 男子:織田信敬(1836年 - 1853年) - 細川行芬の三男
    • 女子:良性院 - 鶴姫、織田信古の長女、織田信敬正室
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