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織田昌澄

安土桃山時代から江戸時代前期の武将・旗本。津田信澄の長男。信勝系昌澄流織田家初代 ウィキペディアから

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織田 昌澄(おだ まさずみ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本。別名は信重。通称は庄九郎、三左衛門、主水。

概要 凡例織田 昌澄, 時代 ...

生涯

津田信澄の長男として、信澄が大溝城主だった時代に誕生した。生母は明智光秀とその継室妻木煕子の娘のため、光秀と煕子の外孫にあたる。

かつて父・信澄の家臣だった経歴のある藤堂高虎に仕え、文禄の役に出陣する。後に藤堂家を去り、豊臣家に仕える。大坂冬の陣で高虎の部隊などと戦って活躍し、豊臣秀頼から褒賞を受ける。なお、大坂の陣に際し、長男の勘七郎は戦死している。大坂城落城後、徳川方に出頭するものの、高虎のとりなしを受けて徳川家康に助命された。以後、剃髪して道半斎と号する。

元和4年(1618年)11月、2代将軍・徳川秀忠に旗本として召し抱えられ、近江国甲賀郡内などで2000石を与えられる。以後、束髪して主水と称する。

寛永18年(1641年)3月26日、死去。享年63。次男の信高が家督を相続した。

系譜

子女は2男9女。

参考文献

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