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労働組合

労働者の連帯組織 ウィキペディアから

労働組合
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労働組合(ろうどうくみあい、英語: trade union、labor union、workers union)とは、労働者の連帯組織であり、労働市場における賃労働の売手の自主的組織である[1]。その目的は組合員の雇用条件を維持し改善することであり[2]、誠実な契約交渉の維持・賃上げ・雇用人数の増加・労働環境の向上などの共通目標達成を目的とする。略称は、労組(ろうそ、ろうくみ)、ユニオン。単に組合と呼ぶこともある。社会的には労働者の利益団体としても機能している。

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1913年頃、ニューヨーク市での衣料労働者のストライキ

資本主義において賃労働は商品の一つであるため、商品市場(労働市場)をコントロールし、より高い価格(賃金)で、かつ売れ残れないよう(完全雇用)労働者たちが「労働力の売り手」として結んだカルテルという側面も持つ[1]

OECD諸国においては、労働組合加入率は平均で17%であった(2017年)[3]。加入率が50%を超えているのは"Ghent system"制度の国(組合傘下の機関が失業給付を管理する; デンマーク、フィンランド、アイスランド、スウェーデン、ベルギー)、およびノルウェーだけである[4]

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定義

シドニー・ウェッブおよびベアトリス・ウェッブ英語版による『労働組合の歴史英語版』(1894年)の刊行以降、主流の歴史学は労働組合を「賃金労働者が、自らの雇用条件を維持または改善する目的で結成する持続的な結社」と定義してきた[5]

カール・マルクスは次のように述べている。「労働力の価値は労働組合の自覚的かつ明示的な基礎をなす。(中略)労働組合の労働者階級にとっての重要性はいくら誇張してもしすぎることはない。労働組合の目標は、諸産業部門の伝統的な賃金水準を下回るような賃下げを防止することである。すなわち、労働力の価格がその価値を下回ることを防ぐことである」(『資本論』第1巻、1867年、p.1069)。初期の社会主義者もまた、政治権力を獲得するために職場を民主化する手段として労働組合を捉えた[6]

オーストラリア統計局は労働組合を「主として使用人から構成され、その主たる活動に、構成員の賃金率および雇用条件の交渉を含む組織」と定義する[7]

近年のボブ・ジェームズの歴史研究は、労働組合を、中世のギルドフリーメイソンオッドフェローズ英語版友愛組合英語版、その他のフラタニティ団体を含む、より広範な互助団体英語版運動の一部として位置づける見解を提示している[8]

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歴史

要約
視点

労働組合成立の歴史的背景

労働組合の起源は18世紀のイギリスに求められる。産業革命は、被扶養家族、小作農移民を含む多数の人々を都市に引き寄せた。イギリスでは1574年に農奴制が終わっていたが、その後も長らく大多数の人々は地主貴族の所領で小作農として暮らしていた。

この変化は単なる農村から都市への移動ではなく、産業労働の性質が「労働者」という新たな社会階層を生み出した点に本質があった。農民は土地を耕し、家畜を育て、農作物を作り、土地を所有するか地代を支払い、最終的には生産物を販売し、自らの生活と仕事を一定程度統制していた。これに対し産業労働者は、自らの労働そのものを販売し、雇用主の指揮命令に従い、雇用主に仕える過程で一定の自由自己決定権を手放した。批判者はこれを賃金奴隷制と呼んだが[9]、これは人間関係の新たな形態、すなわち「雇用」であった。

農民と異なり、労働者はしばしば職務に対する自己統制を欠き、雇用保障や雇用主との継続的関係の約束がないため、自らの職業や職業が健康生活に及ぼす影響を十分に制御できなかった。こうした背景の中で、徐々に労働者の結社としての労働組合が出現する。

労働組合の成立と弾圧

労働組合および団体交渉は、遅くとも14世紀半ばにイングランド王国で労働者条例英語版が制定された時点で禁止されていた。産業革命の進行とともに団体交渉や初期の労働者組織が拡大すると、1799年には結社禁止法英語版が制定され、イギリスの労働者による労働組合および団体交渉は禁じられた。1824年まで、組合はしばしば厳しい弾圧を受けたが、ロンドンのような都市ではすでに広く存在していた。職場での戦闘的行動はラッダイト運動としても現れ、6万人がゼネラル・ストライキに参加した1820年スコットランド蜂起英語版などで顕著であったが、程なく鎮圧された。労働者の窮状への同情から1824年に結社禁止法は撤廃されたが、1825年結社禁止法英語版は、組合活動を賃上げおよび労働時間の変更に関する交渉に制限した[10]アメリカ合衆国では、組合と組合員は、シャーマン反トラスト法などの下でたびたび訴追・損害賠償請求の対象となった[11][12]

1810年代までには、異なる職業にまたがる労働者を統合する最初の労働組織が設立された。最初期の例は、1818年にマンチェスターで設立された「一般職業組合」で、「慈善協会」としても知られる。後者の名称は、労働組合が依然として違法であった時代に、真の目的を秘匿するためのものであった[13]

全国一般組合

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ロンドン労働評議会英語版が発行したポスター。1873年6月2日のデモを告知

イギリスにおける全国的な一般労働組合の結成の試みは、1820~30年代に始まった。ジョン・ドハーティは、綿紡績工全国労働組合の試みが不首尾に終わったのち、1830年に労働保護全国協会英語版を設立した。同協会は約150の組合を組織化し、その多くは繊維関連であったが、機械工、鍛冶工、その他多様な職種を含んでいた。設立から1年で、組合員はランカシャーチェシャーダービーシャーノッティンガムシャーレスターシャーの5州にまたがり、1万~2万人に達した[14]。地位の確立と認知向上のため、同協会は週刊紙『人民の声』を創刊し、「生産階級を一つの共通の連帯の絆に結びつける」ことを掲げた[15]

1834年には、ウェールズ出身の社会主義者ロバート・オーウェンが「全国労働組合大連合英語版」を設立した。同組織はオーウェン派から革命派まで幅広い社会主義者を惹きつけ、トルパドル殉教者英語版事件後の抗議にも関与したが、まもなく瓦解した。

1850年代以降になると、より安定したかつ穏健な大規模一般労働組合が設立された。ロンドン労働評議会英語版は1860年に設立され、シェフィールド騒擾英語版は1868年の労働組合会議の設立を促した。これは安定したナショナルセンターの嚆矢である。この頃には、労働組合の存在と要求は、リベラルな中産階級の世論の中で次第に受け入れられるようになっていた。ジョン・スチュアート・ミルは『経済学原理英語版』において、次のように述べている。

もし労働者階級が相互の結合によって一般的賃金率を引き上げ、あるいは維持できるとすれば、それは処罰されるべきことではなく、歓迎され、喜ばれるべきことであることは言うまでもない。残念ながら、その効果はそのような手段では到底達成し得ない。労働者階級の大衆は数があまりに多く、また広範に分散しており、結合すること自体が困難であり、まして有効に結合することはなおさらである。しかしもしそれが可能であれば、労働時間の短縮を実現し、少ない仕事量で同じ賃金を得ることに成功するだろう。また結合によって、利潤を犠牲にして一般賃金を引き上げる限定的な力も得るだろう。[16]

この主張に加えて、ミルは、個々の労働者には特定の仕事に見合う賃金を評価する基盤がないため、労働組合の存在は市場システムの効率性を高めるだろうとも論じた[17]

合法化・拡大・承認

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1912年、米国マサチューセッツ州ローレンスのローレンス繊維ストライキにおいて、兵士に抑止される労働組合のデモ参加者

イギリスでは1872年に労働組合が合法化され、同時期に、アメリカ合衆国、ドイツ、フランスなど他の工業化諸国でも労働組合が成長した。

アメリカ合衆国では、1869年に労働騎士団英語版が最初の有効な全国労働組合として発足し、1880年以降に拡大した。法的な承認は、裁判所の判断の結果として徐々に進んだ[18]。1881年には組織労働総同盟英語版が、労働者を直接加入させない諸組合の連合として発足し、1886年にはアメリカ労働総同盟となった。

ドイツでは、オットー・フォン・ビスマルク首相による社会主義者鎮圧法が撤廃されたのち、1897年にドイツ労働組合自由連合英語版が結成された。

フランスでは、1884年のワルデック=ルソー法英語版まで労働組織が違法とされていた。1887年に労働取引所連盟が設立され、1895年に全国労働組合連盟と合併してフランス労働総同盟を形成した。

ローマ教皇レオ13世は1891年に回勅レールム・ノヴァールム」を公布して、カトリック教会としてこの問題にはじめてコミットし、労働者酷使問題について取り組み、労働者が妥当な権利と保護規制を受けられるようにすべきだと社会に要請した[19]

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国際労働条約

労働組合の基本的原則として、1948年(昭和23年)の結社の自由及び団結権の保護に関する条約(ILO第87号条約)により、労働組合を組織する権利(団結権)および組合活動をする権利(団体交渉権)は、2人以上の労働者が組合結成に合意することにより[注 1]労働組合を結成でき、いかなる届出も認証許可も必要ではない。

基本条約(Fundamental convention)のひとつであり、日本はこの条約を1965年(昭和40年)6月14日に批准している。

加入率

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ILOデータによる、労働組合加入率
  90.0–99.0%
  80.0–89.0%
  70.0–79.0%
  60.0–69.0%
  50.0–59.0%
  40.0–49.0%
  30.0–39.0%
  20.0–29.0%
  10.0–19.0%
  0.0–9.0%
  No data

労働組合加入率は、 1998年にはOECD平均35.9%であったが、 2018年には 7.9%まで着実に減少している[20]。これら主な理由は、製造業の衰退、グローバル化、政府の政策である。

製造業の衰退が最も直接的な影響となったのは、歴史的に労働組合が製造業従事者の利益にプラスであったためである。それゆえ、OECD諸国の製造業が国外に流出するにつれ、途上国の加入率が上昇する可能性がある。二つ目の理由は、グローバル化により労働組合が国をまたいで団結することが難しいためである。最後の理由は政府の政策であり、これらは政治的右派/左派の両者からのものである。英国と米国では、労働組合の結成を困難にしたり、労働組合の権力を制限したりする提案は主に右派からのものであった。その一方で、左派政府によって最低賃金、有給休暇、育児休暇などの社会政策が達成されると、労働組合に加入する必要性も減少するという[21]

さらに見る 雇用契約, 教育レベル ...
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OECD各国の労働組合加入率(従業員に占める割合%)[20]
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国際労働組合連合組織

最古の国際的組合には、1945年に設立された国際労働組合総連合(ITUC)がある[22]。世界最大のものは、2006年に設立された世界労働組合連盟(WFTU)であり、ブリュッセルに本部を持ち、156の国と地域に約309の関連組織があり、加入者数は総計1億6600万人であった。

構成形態

要約
視点

組合がどの範囲の労働者を組織対象とするかは歴史的な変遷がみられ、現在でも多様である。組合員資格をどのように定めるかについては、法的な諸々の保護の関係で一定の制約を受けるほか、原則として組合の自治に委ねられている[23]。主たる組合員の構成によって、以下のように分類される。

職能組合

職能組合(craft union)は労働組合の最も古典的な形態で、同一職種の熟練工によって組織される。

初期の職能組合は、地域的もしくは全国的な熟練労働力の独占によって、労働条件の引き上げを図る点に特徴があった。そこでは、具体的な労働条件について組合員間で協定を結び、それを強い統制によって労働者に遵守させると同時に、その条件に同意しない使用者のもとでの労働を拒否することが、労働条件引き上げの主たる手段であった。きわめて強力な組織形態であるが、産業の発展により大量の未熟練工が輩出するようになると、労働力の独占を維持しにくくなる[24]

今日の欧米諸国における職種別組合は、職能組合の発展したものであるが、団体交渉争議行為を労働条件改善の主たる手段としている。

産業別組合

産業別組合(industrial union)は職種別組合が次第に統合され、職種のいかんを問わず、同一産業に属する労働者をすべて組織対象にするようになったものである。今日の欧米諸国における最も代表的な組織形態である。

産業別組合では争議行為を含む団体交渉が目的達成の主たる手段となる。団体交渉は様々な次元で行われるが、最も代表的な形態は産業別組合と産業別使用者団体との地域的もしくは全国的な交渉である。この場合、団体交渉での合意を記録した労働協約は、通常、当該産業における一種の法規範のような役割を果たす。それを最低基準として、各企業単位で上積みを図るのが通常であり、協約賃金と企業別賃金との格差は賃金ドリフトと呼ばれる[24]

日本における代表的な産業別組合としては全日本海員組合などがあるが、日本では産業別組合は例外的な存在でしかない。

企業別組合

企業別組合(enterprise union、company union)は事業所もしくは企業を単位として、職種に関わらず、そこに属する労働者を一括して組織する形態である。

日本では大部分の組合がこの形態をとっている。欧米諸国では使用者が組合に対抗するために結成した企業別組織(黄色組合)との闘争という歴史から、企業別組合はほとんどみられない[24]。産業別組合と比較すると、当該企業の実態に合った労使交渉が行われる反面、団体交渉の成果が当該企業内のみに留まるため、交渉に企業間競争を促す力が弱い。組合が企業意識に支配されやすく、企業間競争が激化するにしたがって、他の労働組合と連帯して行動するよりは、使用者と協力して企業の繁栄に努めるという行動をとりがちになる。その結果、労働条件の平準化という組合本来の機能の発揮において大きな限界をもつことになる。また、企業別組合においては、失業者を含む産業分野の労働者全体への関心が稀薄になる[25]

日本の企業別組合においては、組合員の資格を当該企業の従業員(特に、正社員であって一定以上の役職者でないこと)に限るとすること(いわゆる逆締付条項)を規約で定める組合が多い[注 2]

ジェイムズ・アベグレンが著書『日本の経営』(1958年)で、企業別労働組合を終身雇用年功序列とともに、「日本的経営の三種の神器」であると示した。

単位産業別労働組合

企業別組合では対応できない課題に対応するため、企業別組合が産業別に集まった連合体。通称、単産(たんさん)。

一般組合

一般組合(general union)は職種・産業のいかんを問わず、すべての労働者を組織対象とするものである。

19世紀末以来、イギリスにおいて非熟練工を組織するための形態として発展してきた。日本においては、零細企業に分散している労働者や、パートタイム労働者派遣労働者管理職など、企業別組合から事実上排除されている労働者を組織化するためにとられる形態である[24]

合同労働組合

合同労働組合は企業別組合に組織しにくい労働者を地域ごとに個人加盟原則によって組織する点に特徴があるが、その組織形態は多様であり、産業別組合、職種別組合、一般組合などの形態をとる。一般組合の中にも、主要な産業別の労働者を主たる組織対象としつつそれ以外の労働者にも広げるものと、文字通り職種・産業を問わず広く労働者を組織する組合が存在する[26]

一般に中小零細企業では使用者の権力が強く、企業別組合さえ組織しえない場合が多い。1955年(昭和30年)の総評大会では、このような中小零細企業における組織化を方針として掲げ、それ以来合同労働組合の結成が推進されてきた[26]

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ショップ制

要約
視点

労働組合と使用者との労使関係には、様々な形態がある。ここで言う「ショップ」とは、労使間で様々な約束事や取り決め事を交わす「協定」の意である。

日本では、その事業所で組織される労働組合が同事業所の労働者総数の過半数を代表する場合において、その組合の組合員であることを雇用条件とする労働協約を締結することができる(労働組合法第7条第1号但書)。

英国ではEU指令が出される以前に、1980年代のサッチャー政権によってクローズドショップ制とユニオンショップ制が規制された。

オープンショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際し、特に組合員であることを雇用条件としていないものである。基本的に組合員とそうでない者との労働条件等の処遇の違いは無い。

日本では、国家公務員地方公務員の「職員団体」(民間企業の労働組合に相当)については、オープンショップでなければならないとされている(国家公務員法第108条の5第2項、地方公務員法第55条第2項)。

クローズドショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際し、組合員から雇用しなければならないとする制度である。労働者が組合員である資格を失った時は使用者はその労働者を解雇しなければならない。この制度は産業別労働組合が存在する国々に見られるが、日本では見られない[注 3]

アメリカ合衆国では、タフト・ハートレー法によってクローズドショップ制を禁止している。

ユニオンショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際しては、組合員であってもそうでなくても構わないが、労働者は入社後、組合規約で定めた期間内に組合員にならなければならないとする制度である。期間内に組合員にならなかったり、あるいは後に組合員たる資格を失った時は、使用者はその労働者を解雇しなければならない。日本の大手企業に存在する主な組合に見られる。通常は当該組合を労働者の唯一の交渉代表として承認する「唯一交渉団体条項」と一緒に締結されることが多い(これにより、当該組合は使用者によって、全労働者が当然に加入する当該企業で唯一の組合としての地位を認められる)[注 4]。但し、実際はいわゆる「尻抜けユニオン」という体制が敷かれていることが多く、組合員である資格を失っても雇用については別途労使間で協議し、決定することが多い。従って、組合を脱退したからと言って必ずしも退職しなければならないことはない。

日本においては、過去の判例で、ユニオンショップ協定下において組合から脱退した場合において、労働者の組合選択の自由及び他の組合の団結権を侵害する場合には、使用者の解雇義務は公序良俗に反し無効とされ、他の組合に加入した労働者は解雇されない[27]。また、過去に組合を辞めない旨を特に合意していた場合でも「組合員は脱退の自由を有する」とされている[28]。したがって組合の内部抗争において執行部派が解雇をちらつかせて反執行部派を抑え込むことは、事実上できなくなっている。

アメリカ合衆国では、州によっては労働権利法(Right-to-work law)を適用し、ユニオンショップ制を禁止している。

エイジェンシーショップ制

労働組合への加入は労働者の意志によるが、組合員でない者でも、団体交渉にかかる経費と苦情処理にかかる経費を会費として支払わなければならない。ただし、組合員でない者はそれ以外の経費(ロビー活動にかかる経費や、組合員のみに与えられる特権の経費など)を支払う必要はない。

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労働組合と労働市場

要約
視点

労働組合法制は国ごとに異なり、労働組合の機能もまた国によって相違がある。たとえばドイツおよびオランダの労働組合は取締役会への参加などを通じて他国よりも経営意思決定に大きな役割を果たしてきた[29]。さらに、アメリカ合衆国では団体交渉は主として組合が使用者と直接行うのに対し、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スウェーデンでは、組合は主として使用者団体と交渉を行う(産業別団体交渉英語版)。

欧州連合における労働市場規制に関して、ゴールド(1993)[30]とホール(1994)[31]は、労働組合の役割にも影響する三つの異なる制度を指摘している。

大陸ヨーロッパ型の労働市場規制では、政府が重要な役割を担い、労働者の権利に関する強固な立法的中核が存在する。これは、合意の基盤であると同時に、組合と使用者・使用者団体の間の不一致に関する枠組みも与える。このモデルは、ベルギー、フランス、ドイツ、オランダイタリアといった欧州連合の中核諸国に見られるとされ、2004年に東欧10か国が加盟して欧州連合が拡大(2004年の欧州連合拡大英語版)するまで、これら諸国が欧州連合内で相対的に大きな影響力を有していたことから、欧州連合の諸制度にも一定程度反映・踏襲されている。

アングロ・サクソン型の労働市場規制では、政府の立法的役割ははるかに限定的であるため、多くの事項が使用者と被用者、そして意思決定過程でこれらを代表し得る組合や使用者団体の間で決定される。しかし、これらの国々では労働協約は広範ではない。労使関係における集団的解決の強い伝統があるのは企業や経済の一部部門に限られる。アイルランドと英国がこの範疇に属し、前記の欧州連合中核諸国とは対照的に、これらの国々は1973年に欧州連合に加盟した(訳者注:イギリスは後に離脱(イギリスの欧州連合離脱)。

北欧型の労働市場規制では、政府の立法的役割はアングロ・サクソン型と同様に限定される。しかし、これらの国々では労働協約のネットワークがはるかに広範であり、大半の産業および企業を覆っている。このモデルにはデンマークフィンランドノルウェースウェーデンが含まれる。ここで、デンマークは1973年に、フィンランドとスウェーデンは1995年に欧州連合に加盟した[32]

アメリカ合衆国はよりレッセフェール的なアプローチを採り、労働法は最低限の基準を定める一方で、賃金や福利厚生の多くを団体交渉と労働市場に委ねている。このため、同国は上記のアングロ・サクソン型に最も近い。また、近年欧州連合に加盟した東欧諸国もアングロ・サクソン型に最も近い。

これに対しドイツでは、個々の労働者と使用者の関係は非対称であると考えられ、その結果、個人に対する強固な法的保護により、多くの労働条件は個別交渉の対象とはならない。他方で、ドイツ型の企業内協議会法制の主目的は、組合に組織された労働者と、使用者団体に組織された使用者の間で権力の均衡を創出することにある。これにより、個別交渉の狭い限界と比べ、団体交渉にはより広い法的範囲が認められる。

ドイツにおいて労働組合としての法的地位を得るためには、従業員団体は使用者との交渉において対抗力として十分な影響力を有することを立証しなければならない。かかる従業員団体が他の組合と競合する場合、その影響力は組合から異議を唱えられ、労働裁判所で審査され得る。ドイツでは、医師会マルブルガー・ブントドイツ語版およびパイロット組合フェアアイニグング・コックピットドイツ語版など、ごく少数の職能団体のみが、構成員の賃金や労働条件について交渉する権利を獲得している。

上記の類型分類を超えて、組合と政党の関係は多様である。多くの国では、組合が労働者階級の利益を代表することを意図した政党と緊密に連携し、場合によっては指導部を共有することさえある。典型的には左派社会主義社会民主主義政党であるが、キリスト教系労働組合など多くの例外も存在する[33]

英国では、労働組合運動と労働党の関係は、党指導部が国有企業民営化計画を進めたことで、労働者の利益と相容れないとして軋轢を生じた。しかし、同党がエド・ミリバンドを党首に選出(兄のデイヴィッド・ミリバンドに勝利)した後には関係が強化された。加えて、保守党の右派政策に共感しつつ労働組合員でもある人々から成る「職場保守英語版」というグループも存在する[34]

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各国の状況

日本

日本における組合加入率は16.8%(2019年)であった[35]。団体交渉は、主に地方または会社レベルで行われている[35]

アメリカ合衆国

米国では、組織率は1983年に20.1%の割合を占めて以降、徐々に低下しており、2012年の時点で11.3%となっている。組織率低下の要因として、国際競争が激しくなった結果、特に鉄鋼や自動車産業の工業部門において、かつては組合員によって行われていた仕事が人件費の安い海外で行われるようになったこと、生産の自動化によって、製造ラインで一部の労働者が必要無くなったこと、更に組合の力が強い州に所在する多くの企業が、労働権法が制定されていて組合がほとんど存在しない州に工場を移転したことなどが指摘されている。

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米国における1980年代の違法闘争.[36]

公共部門と民間企業を比較した場合、公共部門の労働組合の組合員数は民間企業の5倍以上に達する。なお、日本とは異なり、警察消防にも労働組合は存在する。

労働組合は、内部労働者の利益(職の維持)のために、そのコストを外部労働者・財やサービスの消費者・企業の株主に押しつけていると非難されている。公教育の分野においては、教師組合は、若い教師を辞めさせるよう仕向けることで、学校関係者に支持される老年教師ばかりになり、そのために優秀な教師が減ってきているといると非難されている[37]

アメリカマクロ経済学ミルトン・フリードマンは「労働組合は不要である」として「労働組合が組合員に対して獲得する賃上げは、主として組合の外にいる他の労働者の犠牲においてである[38][39]という言葉を残している。ある職種・産業において労働組合が賃上げに成功すると、その分野での雇用は減ることになり、結果としてその分の雇用が市場に放出されることで、他の産業・労働者の賃金が押し下げられる。結果として高賃金労働者の賃金は上昇し低賃金労働者の賃金は下落することで、賃金格差を拡大させるという[40]

中華人民共和国

中国においては、「工会」(zh:工会)と呼ばれており、「共産党の指導を受ける」ことが基本とされている。中国国内の企業(外商投資企業を含む)、事業単位、機関及びその他の社会組織の主に賃金収入により生活する労働者は、民族人種性別職業、信条、教育程度を問わず、中国工会全国代表大会が定めた「中国工会規約」を承認すれば、全て「工会」に加入し、組合員となることができる。したがって従業員だけでなく、経営者も労働組合に加入することが可能となっている。

記号

労働組合を表すが「全角括弧付き労」としてUnicodeに含まれている。

さらに見る 記号, Unicode ...

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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