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舟 (P-MODELのアルバム)

1995年に発売したP-MODELのアルバム ウィキペディアから

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(ふね)は、日本の音楽グループP-MODELの10枚目のアルバム。1995年12月9日に日本コロムビアより発売された。初回限定版と通常版が存在し、初回限定版はフィルムジャケット仕様で発売された。2009年3月23日にはオンデマンドCDとして、2011年9月21日にはデジタルリマスタリングされた上、1996年に発売されたシングル「Rocket shoot」収録の3曲が追加されて「舟 (+3)」として再発売されている[1]

概要 『舟』, の スタジオ・アルバム ...
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概要

1994年12月1日平沢進以外のメンバーが「改訂」(メンバーチェンジ)された後のアルバムで、ポリドールから日本コロムビアに移籍してからの初アルバムである。

1995年9月30日に行われたライブ『ENDING ERROR』にて「Welcome」「Fune」「Tide」がアルバム発売に先駆けて演奏された。同日には本作のリミックスである「Corrective Errors〜remix of 舟」がディスクユニオンDIW/SYUNから発売された。

「サイバー・スペースで出会ったメンバーたちが情報宇宙帆船P-MODEL号で旅をする」というコンセプトのもとに製作されたアルバムである[2]。以降、このコンセプトを受け継いでライブツアーやアルバムを発表していく。

「改訂」について

1993年10月、日比谷野外大音楽堂で開催されたライブイベント「ERROR OF INFORMATION"待機"」をもって、P-MODELはメンバーを『改訂』(再編成)するため『待機』状態に入った。このイベント中、当時所属していたレコード会社・ポリドールとの契約を解除するとともに、1年後に再び同会場で『改訂作業』を完了させ、新体制によるライブを行うことを宣言していた[3]

1994年9月、P-MODELの活動再開は「若干のバグが発見された」との理由により延期され、代替として平沢進によるソロライブ「HIRASAWA ERROR ENGINE 平沢三幕三時間」が開催された。

しかし実際には、メンバー再編に際して平沢は新メンバーの選定に難航していた。1993年の「待機」イベント当日、楽屋にて小西健司が自ら参加の意思を示し[4]、1994年には平沢のソロ活動にサポートとして参加していた上領亘にも打診がなされ、合意に至った。その後も4人目のメンバーは決まらないままであったが、小西がインターネットを通じて福間創と知り合い、福間の勤務先を訪れてP-MODELへの参加を打診した[5]。福間は同年9月に開催された「平沢三幕三時間」を観覧し、その場で平沢との面接を経て、正式に加入することとなった[5]

小西の加入について、平沢は「アマチュアからメンバーを選んで新しいP-MODELを作り上げていく苦労はもうしたくなかったから、願ってもないことでした」と述べている[6]

これにより、P-MODELは福間創(System-1)、小西健司(System-2)、上領亘(AlgoRhythm)による新体制となり、『改訂』作業は完了した。なお、各メンバーに付された「System」および「AlgoRhythm」という肩書については、「System」はキーボード全般の担当、「AlgoRhythm」はビート全般の担当を意味している[7]

ただし当時、P-MODELは新たなレコード会社と契約を結んでおらず、活動の空白期間を避ける目的で、先行アルバム『Corrective Errors〜remix of 舟』がリリースされた[8]

この編成について、平沢は「インターネットがあれば非常にさっぱりとした人間関係が作れるんで、このメンバーは長続きするだろうと思っていました」と語っており、改訂P-MODELはバンド史上最長となる6年間にわたって活動を継続した[9][10][注 1]

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制作の背景

1983年に初代キーボード担当の田中靖美が脱退して以降、P-MODELは平沢のワンマン的な色合いが強くなっていたが、本作では新メンバーの小西健司による作詞・作曲の楽曲が過半数を占めており、全体として従来のサウンドとは異質のスタイルを構築した[2]。本作では従来以上に電子楽器の比重が高まっているが、前作『big body』まで多用されていたTB-303などのシンセサイザーやシーケンサー主体の楽曲は影を潜めている。その一方で、アナログシンセサイザーや生ドラム、Miburiなどを取り入れ、同時期に制作された平沢ソロ作品「Sim City」と同じく、東南アジア(特にタイ王国)の影響を受けている[11][2]

平沢は、P-MODELと自身のソロ活動における音楽的な差異について「ソロとP-MODELの音楽的な境界線がどんどんなくなってきている」「当然の流れとして、ソロの作風はP-MODELの作風に近づいてきている」と述べている[12]。それでもP-MODELとしての活動を継続する理由については、「ソロ活動での自分のスタイルが、グループの中でどう料理されていくか」「ほかのメンバーとどういう対比を持てるのか」といった点に希望を捨てられないからと語っている[12]

上領によるドラムパターンは、レコーディング時にエディットを施されることを前提としており、単なる「ドラムス」としての役割にとどまらない意味合いが込められている。平沢はこの点について、「上領は、素材になることを厭わない人であることが大きい。ドラム・ソロなんて、そんなカッコ悪いことはないと言って嫌がるんです」と述べている[6]。また、上領自身も「自分の参加の仕方は、やっぱりスタジオに行って、生ドラムを叩いて、それをいじるってことですよね。オレは平沢さんなり、小西さんなりに、どういじってもらってもかまわないっていう考えがあって。やっぱりコンポーザーが、どういうふうにオレのドラムをとらえて、どういうふうに加工していくのか、逆に楽しみになっているところもありますから」と語っている[13]

楽曲解説

Welcome
後に平沢ソロのアルバム名及び楽曲名として使用される「現象の花の秘密」という単語が歌詞中に登場する。
夢見る力に
イントロに平沢ソロの楽曲「山頂晴れて」の逆再生が挿入されている。
石田英範制作のMVが存在するが、そちらでは作詞・作曲の名義がどちらも平沢となっている。MVは2009年にYouTubeに石田本人のチャンネルにより投稿されている。
Fune
本作では平沢・上領、小西・福間で組(ブランチ)を分け、平沢組は東半球、西半球から航海をするというお膳立てが行われた[7]
楽曲の中に登場する「積み荷」とは、平沢組はスピリチュアルな物、小西組はフィジカルな物を運ぶという意味合いとなっている[6][7]
残骸の船Saksit
「Saksit」はタイ語(綴りはศักดิ์สิทธิ์)で「霊験あらたかな、神聖な」という意味[7]
Tide
初披露したライブ『ENDING ERROR』ではアルバム版と異なるアレンジで演奏されている。
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収録曲

  • 全編曲:P-MODEL

全形態共通

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「舟(+3)」のみ収録

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参加ミュージシャン

脚注

外部リンク

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