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若狭野古墳
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若狭野古墳(わかさのこふん)は、兵庫県相生市若狭野町若狭野にある古墳。形状は方墳。兵庫県指定史跡に指定されている。
概要
兵庫県南西部、若狭野平野の北方山地の麓(標高約42メートル)に築造された古墳で[1]、南側には旧山陽道が通る。これまでに墳丘南側で採土によって改変されているほか、1980年(昭和55年)に測量調査が実施されている。
墳形は方形。墳丘は3段築成で、下段は東西約15メートル・高さ約0.4メートル、中段は東西1.26メートル・高さ約0.5メートル、上段は東西7.83メートル・高さ約2メートルを測り、各段の縁には割石積み(外護列石)を巡らす。また下段東側では幅約2メートル・深さ約0.4メートルの周溝が認められる[1]。埋葬施設は横穴式石室(横口式石槨)で、南南東方向に開口する。組合式石棺の長辺に羨道を付すような、特異な横口式石槨状構造の石室で、高句麗の影響を受けて成立したと推測される。副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[2]。
古墳域は1985年(昭和60年)に兵庫県指定史跡に指定されている。
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遺跡歴
埋葬施設

石室俯瞰図

石室展開図
埋葬施設としては横穴式石室(横口式石槨)が構築されており、南南東方向に開口する。組合式石棺形状の玄室の長辺に羨道を付すような、特異な横口式石槨状構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:6.2メートル
- 玄室:長さ1.1メートル、幅1.44メートル、高さ1.29メートル
- 羨道:長さ4.78メートル
石室の石材は近辺の溶結凝灰岩。玄室は横長で、奥壁・左右側壁・床・天井をいずれも一枚石とする。玄門には柱状の石を立てて、その間に板石を閉塞石として置く。羨道の天井は玄室よりも高く、床は小礫敷である[1]。
若狭野古墳の石室構造は、従来の石室からは派生しがたいとされ、高句麗の土浦里1号墳などに祖形を求める説が挙げられている[2]。また墳丘・石室は高麗尺(1尺は35.5センチメートル)の築造企画で構築されたとされる[1]。
- 玄室(奥壁方向)
- 玄門(玄室方向)
- 羨道(開口部方向)
- 羨道(玄室方向)
- 開口部
文化財
兵庫県指定文化財
- 史跡
- 若狭野古墳 - 1985年(昭和60年)3月26日指定。
関連施設
- 相生市立歴史民俗資料館(相生市那波南本町)
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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