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茨田氏

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茨田氏
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茨田氏(まんだのうじ/まむたのうじ)は、河内国茨田郡(現在の大阪府寝屋川市門真市守口市一帯)を本拠地とした豪族だった日本氏族神武天皇の孫彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)の後裔と称される。『日本書紀』に記された仁徳天皇の治水事業「茨田堤」の築造に深く関わったことで知られる。大和朝廷で、祭祀などを司った氏族とされる。平安時代以降、茨田氏の勢力は次第に衰退し、その子孫は代々この地に土着したが、江戸時代まで地域の名士として家系を存続させた者もいる。

概要 茨田氏, 本姓 ...

概要

新撰姓氏録』によれば、茨田氏は多氏と同祖であり、神武天皇の第一皇子である彦八井耳命の後裔であるとされる。氏名の「茨田」は、本拠地である河内国茨田郡の地名に由来する。この一帯はかつて広大な湿地帯であった。茨田氏が管理した茨田屯倉(まむたのみやけ)は、天皇直轄地であったと考えられており、治水事業や農業に関する技術的な業務を担ったと推測される。

歴史

  • 仁徳天皇の治水事業と茨田堤
    • 築堤 - 『日本書紀』によると、4世紀頃、仁徳天皇の命により淀川の氾濫を防ぐための大規模な堤防である「茨田堤」が築造された。これは日本最古の記録に残る大規模な治水事業の一つである。
    • 人柱伝承 - 築堤の際、人柱を立てるべきかという議論が起こったが、茨田氏の祖先とされる茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)が、知恵を使って人柱を免れたという伝説が残されている。この伝承は、現在も門真市にある堤根神社の由緒となっている。
  • 中央政界への進出と衰退
    • 奈良時代 - 『続日本記』には、茨田枚野茨田枚麻呂といった人物が朝廷に出仕し、官位を得ていたことが記録されている。
    • 平安時代以降 - 平安時代以降、茨田氏は中央貴族としての勢力を次第に衰えさせ、歴史の表舞台から姿を消した。しかし、その子孫は代々この地に土着し、江戸時代まで地域の名士として続いた家系も存在した。

出典

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