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荒木義朗
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荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。
人物・来歴
東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える[1][2]。
1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した[1]。
1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った[3]。
経営に関して「企業のトップやリーダーは、まず身体が丈夫でなければなりません。体が弱ければ、必ず気も弱くなる。それと若い頃から全速力で走ること。息が切れるようじゃ上に進む資格はない。」など啓発的な提言もしていた。
中学1年から36歳までバスケットボールを続け、主将と監督も務めた。草月流の師範であったほか、30代で習った小唄は師範一歩手前まで進み、バラ栽培や写真を趣味とするなど多芸多才だった[2]。1983年(昭和58年)5月からは、前年に死去した金子鋭(富士銀行元会長)の後任として日本相撲協会運営審議委員会委員を務めた。
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脚注
参考文献
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