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荻原昌之

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荻原 昌之(おぎわら まさゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将甲斐武田氏が滅んだ後、徳川家に従った。

概要 凡例荻原昌之, 時代 ...

略歴

荻原昌勝の一族。『甲陽軍鑑』の記事に拠ると、荻原氏は甲斐国山梨郡荻原(旧東山梨郡三富村)の国境秩父口の防備を勤めた一族で、その子孫とされる家が武田信玄に仕えた。武田信玄陣立書によると旗本の横目衆に属している。

天正10年(1582年)3月に織田信長・徳川家康連合軍の武田征伐による甲斐武田氏滅亡後、徳川家康から荻原本領を安堵され[2]甲州九口之道筋奉行に命じられる。天正12年(1584年長久手の戦いに従軍。天正16年(1588年)5月10日、56歳で死去[1]

なお、江戸幕府5代将軍徳川綱吉に仕えた財政家・荻原重秀はこの荻原氏の一族である。

系譜

子孫は八王子千人同心千人頭として明治期まで存続。

脚注

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