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華屋与兵衛
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華屋 與兵衛(はなや よへえ、1799年 - 1858年、別名:小泉與兵衛、花屋與兵衛)は、江戸時代の寿司職人。
人物
霊岸島(東京都中央区にかつて存在した地名)生まれ[2]。幼名は弥助(やすけ)。伝染病で両親を亡くしてしまった。
1810年に寿司屋を開店し、後に江戸両国に移った。文政(1818年-1830年)初期、押し寿司と違う江戸前の握り寿司を考案した[1]。
1824年に「華屋」を開業。ワサビを使い、現在の寿司に非常に近いものを出したことから、一般には握り寿司の考案者とされる。他の業者と競い豪華な寿司を提供したことから、奢侈を禁じた天保の改革の際には他の寿司職人ともども投獄されている。明治時代に出版された書物には与兵衛が投獄された原因はアナゴ寿司にあったと伝えているだけ。
1858年に死去。60歳没[1]。
与兵衛寿司跡
文政七年(1824年)に元町(現両国一丁目)に「華屋」という寿司屋を開店させ、現在の寿司のかたちのもとになる寿司を提供。その跡地、東京都墨田区両国1-8-9に標識が立っている。JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m。[3]
フィクション
脚注
外部リンク
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