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葉山万次郎

日本の教育者・官僚 ウィキペディアから

葉山万次郎
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葉山 万次郎(はやま まんじろう、1877年明治10年)12月3日[1] - 1960年昭和35年)10月7日[1])は、日本教育者

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経歴

長崎県北松浦郡平戸町(現在の平戸市)出身[1]私立尋常中学猶興館中退、私立日本中学校旧制一高を経て1902年(明治35年)、東京帝国大学文科大学独逸文学科を卒業[2]1909年(明治42年)、第一高等学校教授に就任した[2]1922年大正11年)、文部省督学官に転じ、翌年から学校制度研究のためドイツイギリスアメリカ合衆国に出張した[2]。帰国後、山形高等学校校長となり、1930年(昭和5年)に第七高等学校造士館館長に転じた[2]1933年(昭和8年)に大阪外国語学校校長に就任し、1940年(昭和15年)に退官した[3]1942年(昭和17年)に大阪外国語学校名誉教授の称号を得た[2]

退官後、日本中学校校長に就任し、戦後は松浦史料博物館館長を務めた[1]

著作

  • 『露西亜』(冨山房、1903年)
  • 『独逸国民文学史』(冨山房、1904年)
  • 『平戸の対外貿易時代の話』(松浦史料博物館、1961年)

脚注

参考文献

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