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蓮田兵衛

室町時代中期の土豪、寛正の土一揆の首魁 ウィキペディアから

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蓮田 兵衛(はすだ ひょうえ)は、室町時代中期の土豪寛正の土一揆の首魁。室町期に発生した土一揆徳政一揆)の指導者として、最も早くに名が知られる人物である[1][2]

概要 凡例蓮田 兵衛, 時代 ...

略歴

出自は不明で、『新撰長禄寛正記』は「牢人地下人」としている[1][3]

寛正3年(1462年9月ごろより京都、続いて奈良で徳政一揆が断続的に蜂起しており、蓮田兵衛は9月11日に蜂起した京都の一揆の大将だった。この一揆は一度沈静化したものの、10月21日に再び蜂起し、諸口を封鎖して東寺を制圧。さらに糺の森に進出して相国寺東門を攻撃し、室町幕府(花の御所)にまで侵入するかの勢いを見せた。

これに対して室町幕府は侍所所司代多賀高忠、次いで赤松政則ら在京大名に鎮圧を命じた。兵衛は土豪百姓を糾合し一度は赤松勢の攻撃を退けたものの、再度の攻勢によってついに敗走した。一揆衆は離散し、11月2日に兵衛もで捕らえられて殺された。2日後に兵衛ら8名の首級が京都に到着し、四塚で獄門に懸けられた[1][2][4][5]

関連作品

小説

脚注

参考文献

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