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藤井啓之助

日本の外交官 (1888–1959) ウィキペディアから

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藤井 啓之助(ふじい けいのすけ、明治21年〈1888年3月[1] - 昭和34年〈1959年3月15日[1])は、日本外交官

経歴

群馬県群馬郡[1]国府村(現・高崎市)に、藤井直次郎の次男として生まれる[2]。在ホノルル日本総領事などをつとめた[1]伯父・藤井三郎の跡を継ぐ[2]貴族院議員をつとめた都筑馨六は叔父にあたる[2]東京府立第一中学校旧制第一高等学校を経て[2]東京帝国大学法科大学政治学科卒業[1][3][2]

1913年大正2年)10月外交官試験に合格[1]。翌1914年(大正3年)から領事官補として長春ホノルルサンフランシスコに勤務[1]1918年(大正7年)からのワシントン勤務を経て、1920年(大正9年)廈門領事に任命される。1924年(大正13年)に電信・文書・翻訳課長[1]1926年(大正15年)に人事課長も兼ね[1]1930年昭和5年)に在英日本大使館へ勤務することになりイギリスへ移った[1][3]

1931年(昭和6年)にドイツハンブルク総領事に転任[1]1932年(昭和7年)から翌1933年(昭和8年)まで在独日本大使館で臨時代理公使を務め、その後ワシントン、ロンドンに駐在した[4]1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで在チェコスロバキア公使を務め1940年(昭和15年)に退職、1959年(昭和34年)に死去[1][3]

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