トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤井行徳

ウィキペディアから

藤井行徳
Remove ads

藤井 行徳(ふじい ゆきのり)は、幕末公家、明治期の神職政治家貴族院子爵議員

概要 凡例藤井行徳, 時代 ...

経歴

山城国京都中務権大輔藤井行道の長男として生まれる[1][4]。父の死去に伴い、1891年(明治24年)7月24日、子爵を襲爵した[5]

慶応元年2月1865年2-3月)元服して昇殿を許され、慶応2年1月1866年2-3月)従五位上に叙せられ、右馬権頭に任じられた[4][6]明治元年1868年)京都皇学所で漢学を修める[6]

1879年(明治12年)10月、宮中祗候となる[2][4]。以後、岡山始審裁判所書記、秋田始審裁判所書記、白峯宮宮司松尾神社宮司を歴任し、1895年(明治28年)に宮司を辞職[2][4][6][7]1897年(明治30年)英照皇太后御葬祭斎官となり、以後、歌御会講頌御人数、歌御会講師御人数、大喪使祭官などを務めた[2][6]

1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[8]1918年(大正7年)7月9日まで3期在任した[2]1922年(大正11年)5月、平野神社宮司に就任し、1929年(昭和4年)に依願退職[7]1930年(昭和5年)8月30日に隠居した[1]

Remove ads

系譜

栄典

位階

勲等・褒章

  • 1906年(明治39年):勲四等旭日小綬章[6]
  • 1916年(大正5年):勲三等瑞宝章[6]

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads