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藤原佐忠
日本の平安時代の貴族 ウィキペディアから
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藤原 佐忠(ふじわら の すけただ)は、平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家魚名流、出羽守・藤原連茂の子。
経歴
天慶8年(945年)当時六位蔵人木工助を務めている。同年12月大納言・藤原師輔に召され郡司読奏の由を奏上する。この頃木工権助に転じるか[1]。翌天慶9年(946年)には式部丞に転じ、天暦元年(947年)に入り朱雀院判官代兼肥後権守となる。
天暦3年(949年)当時中務丞を務める。天暦5年(951年)摂津守を務めており、天暦3年(949年)から天暦5年(951年)の間に従五位下に叙爵されたことが分かる。応和2年(962年)正月に右中弁となる。同年5月には歌合に出詠。応和3年(963年)頃には広平親王家別當を務めた。
康保2年(965年)大宰大弐に任ぜられ、翌康保3年(966年)赴任の由を御前で申す[2]。安和3年(970年)召還の太政官符が出され召還。当時の位階は従四位下。最終的に従四位上行勘解由長官に進む。また、時期は不明ながら因幡守を務めたという[3]。
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官歴
系譜
脚注
参考文献
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