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藤原友近

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藤原 友近(ふじわら の ともちか、生没年不詳)は、平安時代中期の武官。刀伊の入寇で功績を残した [1][2]

略歴

寛仁3年(1019年)4月、女真系の海賊集団が壱岐対馬を襲撃し、さらに博多湾岸へ侵攻するという刀伊の入寇が発生した。博多には当時、外敵からの防衛拠点である警固所(鴻臚館に付設した防衛設備)が置かれており、4月8日に刀伊の船が到着したことから、藤原隆家は藤原友近らを派遣し、友近はそこで防衛戦に従事した [3]

彼は随兵(従者)として紀重方を従え、警固所の戦いに参加。多数の賊徒を相手に奮戦し、敵に矢を的確に命中させたことが記録されている [1]。 博多警固所の戦闘で特に功績があった5人の名が挙げられており、その中に藤原友近と随兵・紀重方が含まれている。

参考文献

  • 『古事類苑』(1896年、神宮司應、1108p)
  • 『歩いて学ぶ日本古代史』(2025年、新古代史の会)

脚注

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