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藤原経隆
平安時代後期の貴族 ウィキペディアから
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藤原 経隆(ふじわらの つねたか、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。藤原北家隆家流、修理大夫・藤原基隆の子。官位は正四位下・出雲守。
経歴
周防守を経て、大治3年(1128年)出雲守、大治5年(1130年)讃岐守と、白河院政期末から鳥羽院政期初頭にかけて、中四国地方の受領を歴任。またこの間、左兵衛佐・右衛門佐と武官も兼帯した。讃岐守在任中の天承元年(1131年)式内社である水主神社に参拝[1]。また、長承2年(1133年)には成功により従四位上に昇叙されている。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
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